『ジェロントロジー』(山野正義)

山野正義『ジェロントロジー』(IN通信社)を読了。

老年学、加齢学と訳されている、1970年代から発展した「ジェロントロジー」に関する本を何冊か購入し手にとってみたが、「美容」という視座から論じたこの本がわかりやすかった。著者は山野美容芸術短大を傘下に持つ学校法人山野学苑総長。 中心より、脇から見た方が本質がみえる、ということかも知れない。現在、167ヶ国の大学にジェントロジー学科が設置されている。

ジェロントロジー ― 未来の自分はいまの自分からつくられる

ジェロントロジー。

・生涯にわたる人間の発展と加齢の研究。老化にかかわる諸問題について、医学・心理学・経済学など多くの分野の連携によって解決を探究する学際的な学問。

・老化の意味を、身体、精神、社会面から総合的に研究し、高齢者が生き生きと暮らせる社会をめざす。

・老年学。高齢社会の人間学。老化防止研究学。

・湯かな高齢期を過ごすにはどうしたらよいかを追求。政策、社会、治療法、ライフスタイルの提案を設計する学問。

・学際的:高齢者医療。生理。心理。生活行動。政治。経済。社会・文化。人間関係。労働・退職。家計。住居。介護。死・倫理。

・人々が健康な心身をもち、最後まで豊かに人生を送ることができるよう支援するのが目的。

ギリシャ語で老人を意味するジェロンから派生した老齢を意味する接頭語「geronnt(o)」と学問を意味する接尾語「ロジー(logy)]」連結させた造語。

 南カリフィオルニア大学(USC)デイビス校ジェントロジー学部。日本向けプログラムは60講座。ジェロントロジー・オンラインコース。日本語字幕スーパーと英語。自宅で学べる。身体・精神・社会。4ヶ月の修了者が多い。2000人が卒業。USCデイビス校から修了証書。山野学苑GCCからジェロントロジー学指導員の資格付与。

ジェロントロジストとは、心理学・社会学・生物学の3つの分野をまたぎ研究する人。

平成21年、東大高齢社会総合研究機構(鎌田實機構長)。平成23年、東大産学ネットワーク・ジェロントロジー。

 

母親の山野愛子1909年1月20日 - 1995年7月31日)は身分の低かった「髪結い」を国家資格を持つ「美容師」に変革させた人物。16歳で美容師の道に入り、全国各地に山野愛子美容室を展開。平成4年に世界初の美容の高等教育機関・山野美容芸術短大を83歳のときに創設した。享年86。コスメトロジー(美容学):美道五大原則「髪、顔、装い、精神美、健康美」。「人生いつも八合目」「本当の楽しみは60代から」「本日誕生!」。美道は菩薩道。吉行あぐり(1907年生。美容師。107歳で他界)が店を閉めたのは97歳。

 以下、参考になる言葉。

・知恵は知識と経験の蓄積によって創られる。

・常に動き回っている。好奇心。オープン。ドキドキワクワク。

・超高齢化ゾーン(90代後半から100歳代)では、幸福感が深い。老年的超越。

・ブルーゾーン(100歳超の高齢者が多い):イタリアのサルデーニア、ギリシャのイカリア島、コスタリカのニコヤ半島、カリフォルニア州ローマリンダ、日本の沖縄。9つのルールで生活すると平均寿命より14年長く生きる可能性あり。

・生きがい=朝起きる理由。・GNP=元気、にこにこ、ポックリ。

 ジェロントロジーには、私のテーマである「図解」(アタマの革命)と「人物」(ココロの革命)も大いに貢献できると思う。

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「名言との対話」10月2日。良寛「災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候」

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗僧侶歌人漢詩人書家

曹洞宗の良寛和尚は越後出雲崎に生まれ、光照寺玄乗に従い得度し大愚良寛と称する。のち備中玉島円通寺国仙の法を嗣ぐ。その後二十数年間諸国を行脚し、奇行に富んだ飄逸の生活を送る。万葉風の和歌及び書風は天衣無縫で高い評価を得た。

「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ」

「形見とて何かのこさん春は花 山ほととぎす秋はもみぢ葉」

「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれはまされる」

「この宮の木(こ)したに子供等と遊ぶ夕日は暮れずともよし」

「風きよし月はさやけしいざともに踊り明さむ老いのなごりに」

「歌もよまむ手毬もつかむ野にいでむ心ひとつを定めかねつも」

「散る桜 残る桜も 散る桜」は、太平洋戦争の特攻隊の心情になぞらえた歌として有名だった。これには良寛不本意だろうが、決死の行動に勇気を与えた歌だ。精神医学の土居健郎がもっとも惹かれる人物が良寛であると吐露しているように、ファンが多い。「アララギ」の島木赤彦は「良寛さま」という童謡を書いている。「山を下った良寛様は 村の子どもとまりついていたが 山に帰った良寛さまは 寺に一人で寂しかろ」

冒頭に掲げた言葉は、1828年の新潟三条の大地震で子どもを亡くした俳人・山田杜皐(やまだとこう)に17歳の良寛が宛てた見舞の一文である。自然のままに生きようという。災難にあったらあったら災難にあう。死ぬときは死ぬしかない。あるがままに受け入れて、自分ができることをしよう。良寛の辞世の歌は「いにしへいかはらぬものはあり みそとむかいみゆるさどのしまなり」である。毎日の生活と佐渡島の風景は変わることはない。時節と摂理を受け入れて生きる心n大事さを良寛和尚は教えてくれる。