知研:「再興へ向けての会議」。「知研関西の水谷代表のセミナー」。「懇親会」。

「副学長日誌・志塾の風」

・秘書とスケジュール調整

・マグネットの岩澤さんと打ち合わせ

 知研の福島事務局長の代々木オフィスで会議。八木、福島、高橋、久恒。

高橋「昭和58年以来の会員。マネジメントゲーム40年。各地で弟子。全国の知研の様子をみている。組織化を。2020年からの再出発。若い人へつなぐ。関西、岡山に加えて、沖縄、九州、東北、広島、。そして北海道、台湾、、、、へ。岡山方式。

八木「一人ひとりが研究者になれという梅棹先生に忠実でなかった。教養主義、ビジネスに傾き分散」

以上を踏まえて、以下を議論。

・50周年の2020年以降、第二の創業期として活動を行う。この1-2年は準備。

・パンフの更新:久恒作成の原案の修正。

・組織:知研(東京)。「知研・岡山」のように支部をつけない。地方は代表(理事)と事務局長。

・人事案:2人の副理事長を新設。高橋茂人、伊藤松郎(岡山)

・ホームページ:全国のセミナースケジュールを自由に書き込めるように。交流掲示板。トップページの改編。

・2017年の総会:3月3日(土)15時から。代々木。2018年以降の方針を決定。

・東京のセミナー:1月26日18時半。2月23日18時半。3月16日18時半。

・「知研フォーラム」編集体制の再構築・電子化。メルマガ(500人)は理事が発信できる体制に。

・日本地域社会研究所との連携による出版にも注力。

・会員数。予算。規程の変更、、。

 19時からセミナー。講師は関西知研の水谷代表。

テーマ「バグは本当に虫だった&関西知研30年の歴史」。

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 水谷さんの近著。 

バグは本当に虫だった-なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100年の夢」ヒストリー91話「バグは本当に虫だった・なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100年の夢」ヒストリー91話」(ペンコム(インプレス))

知研は1970年の創立であるが、関西支部として1987年に発足。その後、30年セミナーと交流会をやってきた。その歴史を写真と解説でうかがった。継続力は素晴らしい。

終了後は、水谷さんを囲んで鮨屋で懇親会。知研フェイスブック(下村さん)。

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(高橋さんに後光が!)

 

「名言との対話」11月10日。マルティン・ルター「たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日、リンゴの木を植える」

マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日 - 1546年2月18日)は、ドイツ神学者教授作家聖職者である。

11月10日はドイツの詩人シラー、EUの提唱者クーデンホフ・カレルギーなどの生誕日でるが、2017年は1517年のルターの宗教改革から500年にあたる節目の年であり、ルターを取り上げる。

NHKの「カルチャーラジオ歴史再発見」のシリーズ「ルターと宗教改革500年」を聴いてルターという人物の生い立ちから宗教改革に至る人生の軌跡を知った。「95ヵ条で宗教改革は始まった」「宗教改革前史」「落雷体験から修道院へ」「塔の体験」「改革運動の前進」「恵みの神学--ルターの思想」、、、、。

「神の義(正しい)」は、罪多き自分にとっての神は怒り、裁きの神であるととらえられていた。神は正しく生きよと律法を要求している。しかし神は正しいことができない自分をご存じであるから、正しさを贈り物としてプレゼントしてくれているのではないか、人間はその恵みをうけとめればいい。神は赦し、福音を賜うのだ。この「塔の体験」で、ルターはこのような深い理解に達し覚醒を果たす。回心体験である。

ローマ教皇の免罪符への懐疑をきっかけとして、1517年にヴィッテンベルクの教会へ向けたルターのキリスト教の教義に関する「95ヵ条の論題」がきっかけとなって、宗教改革が始まる。「聖書に書かれていないことは認めることができない」というルターの言葉は重税を負わされていた農民にも希望を与えドイツ農民戦争に発展した。1529年の帝国議会は、ルター派支持諸侯の立場を認めながらカトリックの立場を保全する決定を行う。それに抗議したルター派諸侯と諸都市はプロテスタント(抗議者)と呼ばれ、それがルター派の総称となったのである。「私は話すとき、自分を最も低く引きおろす。聴衆のインテリを見ないで、子供を見て話す」というルターの新しい教えはグーテンベルク活版印刷技術の発明・普及と相まって全ヨーロッパに燎原の火の如く広がり、近代の夜明けとなった。

41歳のルターは26歳の元修道女と結婚し3男3女をもうけ円満な生活を送っている。「酒と女を愛さぬ者は、生涯馬鹿で終わる」「恋なき人生は死するに等しい」「良い結婚よりも、美しく、友情があり、魅力的な関係や団体、集まりはない」という言葉も残している。これに対し聖職者の独身制を採っていたローマ・カトリック側は「異端者」「好色家」「犯罪人」と呼んで厳しく弾圧し破門する。

「死は人生の終末ではない。生涯の完成である」というルターは、新興のヴィッテンベルク大学において教授として聖書講義を続け、63歳の劇的な生涯を閉じる。

「やがて成長して作物が得られるという希望がなければ農夫は畑に種を蒔かないだろう。子供が生まれるという希望がなければ人類に結婚という仕組みは出来なかっただろう。利益を得ることができるという希望がなければ商人は商売を始めないだろう。この世を動かしているのはすべて希望なのだ。」

ルターの教えの通り、収穫という希望を胸に、リンゴの木を植えていこう。