「知研フォーラム」339号

「知研フォーラム」339号が届く。12月号。

1月セミナー:1月26日18時半。矢矧晴一郎「後天的天才塾の提案」。代々木BVハウス

2月セミナー:2月23日。三嶽豊・きみこ。代々木BVハウス。

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近藤節夫 「アウシュヴィッツ」を考える

久恒啓一「モンゴル訪問記」「モンゴル読書録」

諫山禎一郎「わたしの読書あれこれ」

八木哲郎「八路軍の研究」

 

「名言との対話」12月29日。グラッドストン「いつまでも若くありたいと思うなら、青年の心をもって心としなければならない」

ウィリアム・ユワート・グラッドストン英語: William Ewart Gladstone [ˈwɪljəm ˈjuːwɑːt ˈglæd.stən], FRS, FSS1809年12月29日 - 1898年5月19日)は、イギリス政治家

好敵手である保守党党首ベンジャミン・ディズレーリとともに、イギリス最盛期のヴィクトリア朝(837年から1901年)の政党政治を代表する人物である。

グラッドストンはヴィクトリア朝中期から後期にかけて、自由党を指導して、4度にわたり首相を務めた(第一次: 1868年-1874年、第二次: 1880年-1885年、第三次: 1886年、第四次: 1892年-1894年)。
グラッドストンディズレーリはあらゆる面で対称の存在であり、終生のライバルであった。グラッドストンキリスト教主義的倫理感があり、ディズレーリは現実主義者だった。同時代のアンドレ・モロワは二人の対比を次のようにしている。「二人ともダンテの『神曲』を好んだが、ディズレーリは地獄篇を愛し、グラッドストンは天国篇を愛した。」「グラッドストンにとってディズレーリは、宗教と政治信念を持たない不信者だった。ディズレーリにとってグラッドストンは上辺だけ飾って辣腕を隠す偽信者だった」

新興ブルジョアジーが支持する自由党グラッドストンは選挙法改正アイルランド問題の解決に努力する平和主義だった。地主層や地方の貴族が支持するディズレイリはスエズ運河の買収インド帝国の樹立など帝国主義政策をとった。

グラッドストンは「幾多の大きな失敗をくぐりぬけてはじめて人間は偉大になるのだ」「大きな過ちを多く犯さないうちは、どんな人間でも偉人や善人にはなれない」と言っており、ライバルのディズレレイリは「いかなる教育も、逆境から学べるものには、敵いません。」と言っている。失敗、試練、逆境が人を偉大にする都の考えは両者とも同じである。

グラッドストンの初組閣は58歳であり、第四次内閣の最後は85歳だった。晩年の写真をみると、鷹のような鋭い目でこちらを睨んでいる表情が印象的だ。本人の言うようにグランドストンは青年の心を持ち続けていたのだろうと、納得する。