「ぐりとぐら しあわせの本」展と「みみをすますように 酒井駒子展」。

立川の「PLAY! ミュージアム」を初訪問してきました。

ぐりとぐら しあわせの本」展と「みみをすますように 酒井駒子展」。

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ぐりとぐら しあわせの本」展。

作者は、中川李枝子と大村百合子という姉妹の絵本。ふたごの野ねずみの物語。

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酒井駒子展」。

20冊を超える絵本を書いている絵本作家の企画展。
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絵本のある暮らし「月刊モエ」の「中川李枝子 ぐりとぐら」特集と、「酒井駒子」特集を買いました。絵本の世界を楽しみます。

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夕:「 ライフシフト・ジャパン」の大野さんと橘川さんとZOOMミーティング

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夜・デメケンミーティング。

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「名言との対話」6月8日。スハルト「安定と開発」

スハルト(Soeharto, Haji Muhammad Soeharto[2] 1921年6月8日 - 2008年1月27日)はインドネシアの軍人、政治家。

第2代大統領(1968年 - 1998年)として30年以上在任し、開発独裁政権として工業化を推し進めた。

インドネシアは日本が降伏した2日後の1945年8月17日にスカルノが独立を宣言。降伏した日本に代わって植民地支配の復活を狙ったオランダとの間で独立戦争がやがて始まり、スカルノが勝利する。スカルノは「指導される民主主義」を唱え、インドネシア共産党を支持基盤として、外交的にも徐々に親共路線をとった。

1965年9月30日、大統領親衛隊長ウントゥン中佐が率いる左派系軍人が、陸軍参謀長ら6将軍を殺害するというクーデター(9月30日事件)が発生。スハルトは彼らを徹底的に弾圧し、「ソロ川の水が赤い血に変わった」といわれるほどの20世紀最大の虐殺の一つを断行した。

1968年3月には第2代大統領に就任したスハルトは、 親米・親マレーシア・反共路線に外交方針を転換し、1967年には東南アジア諸国連合ASEAN)を創設し、事務局をジャカルタに誘致する。東ティモールインドネシアに併合した。

さまざまな問題を抱えながら、30年以上にわたり開発独裁政権としての安定した政治体制と経済発展を実現させた。

白石隆スカルノスハルト』(岩波書店)を読んだ。

スカルノは夢想家・大学卒・貴族・教養・プレイボーイ・ラジオ時代。スハルトは実際家・苦学して中卒・平民・ジャワ語・よき夫・父・テレビ時代。二人は対照的だった。

二人の大統領は、スカルノは1945年から1968年までの反乱と危機を乗り越える23年、スハルトは1968年から1998年までの安定と開発を目指した30年、あわせて第二次大戦後から21世紀直前までの半生記以上のインドネシアを率いた。二人の軌跡を追えば、そのままインドネシア史になる。

指導された民主主義による「反乱と危機」の20年超、開発の父による「開発と安定」の30年余を経て、第4代大統領のワヒドは「スカルノは女にクレイジースハルトは金にクレイジー、そしてハビビはただのクレイジー、そしてワヒドはみんなをクレイジーにする」と表現している。

1万3,466もの大小の島により構成されている世界最多の島嶼をを抱える島国であり、2億6,400万人で世界第4位の人口を持つインドネシアは、GDPは2020年現在でメキシコと同規模の世界16位の大国になっているが、一人当たりGDPはモンゴルと同じ水準の113位である。

リーダーは時代の子である。時代が要求する役割を果たしていく。建国の父である二人の大統領の20式後半の政治は、「反乱と危機」の時代、「安定と開発」の時代として「偉大なるインドネシア」を目指した半世紀であった。アジアの時代を迎えつつある今日、アセアン諸国の中心に位置し、アセアン5の一員であるインドネシアの動向は見逃せない。そういえば、この国にはまだ訪れていない。