「ZOOMを使ったオンライン講座の開き方」講座の事前勉強。「スクールタクト」で学ぶ。数分の短い動画で段階的に学んでいくというやり方で、ストレスが少ない。
「WHY/How/Whatのゴールデンサークル」「なぜ・どうやって・何を」「信じていること。夢。信念。納得感」「世界を変える夢、計画ではない」「なぜから始める」「一番乗りの15%」「直観」「社会はコミュニケーションで成りたっている」「対話」「反転授業」「コミュニケーション革命」「生態系」「動画で学びZOOMで対話」「How toは動画」「説明は動画、集まった時は対話」「キャロルの時間モデル」「完全習得学習」「倍速再生、繰り返し」「自分速度」「早朝と深夜」「映像オフの耳だけ」「自分の顔だしは内省的に」「リラックス」「皆がフラット」「多様な参加形態を互いに受容」「動画と対話の組み合わせという経験学習モデル」「経験学習モデル」「個別に実戦、皆で対話」「日常的交流。毎日が学びの時間」「コンテンツは率直なフィードバックと改善指摘」「自分の学びを促進してくれたかかわり方を伝える」「主催者はファシリテータ:場の変化を受容・自然体で柔軟に・ゆらぎの増幅」「15分の動画・課題提出・ZOOMで振り返り」「スピンアウト企画」「内からのエネルギー」「課題動画制作ツールの使い方:原稿・編集(カルタジア)・限定アップ」。
-------------
書店で『デジモノ超愛用品 リモートワークスタイル』を購入。ぱらぱらとみる。
リモートワーカーになるための手引書。さて、何をそろえようか。何で武装するか。
---------------------
「名言との対話」6月20日。芦田均「失意と逆境の時に於てこそ明朗なる心持と闘志とを抱くことが男子の本分であると思ふ」
芦田 均(あしだ ひとし、1887年〈明治20年〉11月15日 - 1959年〈昭和34年〉6月20日)は、外交官、政治家。
位階は従二位。勲等は勲一等。学位は法学博士。 衆議院議員(11期)、厚生大臣、外務大臣、副総理、内閣総理大臣などを歴任した。
1912年東京帝大卒。外務省に入省し、ロシア・フランス・トルコ・ベルギー大使館などに勤務。満洲事変を機に辞職。1932年衆議院議員に当選し11回当選する。外交通として軍部には批判的態度をとり、大政翼賛会結成にも不参加だった。一方、ジャパン・タイムス社長に就任している。
戦後、鳩山一郎らと日本自由党結成に加わり、幣原内閣で厚相を務めた。1947年、自由党から一派を率いて離党し、日本進歩党と共に民主党を結党。党総裁に就任。社会党の片山哲内閣の外務大臣に就任。1948年3月10日に内閣総理大臣に就任するが、昭和電工事件により10月5日に総辞職と短命政権だった。次の吉田茂内閣の組閣については「私は吉田氏の無鉄砲に驚く」と日記に記している。12月7日芦田自身も逮捕される。
占領期以降の晩年は、歴史書を書き残す事に重点を置いた。今回読んだ『芦田均日記』は占領期の歴史を当事者の立場で書く為の備忘録である。1959年には『第二次世界大戦外交史』を病床で口述筆記により完成させた。
1959年、71歳で死去。死後、谷垣專一が芦田の地盤を引き継いで代議士となった。自民党総裁をつとめた谷垣禎一の父だ。
2002年5月18日には、京都府福知山に芦田均の功績や資料を展示するに「福知山市芦田均記念館」がオープンした。
『芦田均日記』第二巻は、「外相から首相へ 連合の模索と挫折」の時代である。時代のテーマは経済復興と民主改革だった。1947年から1948年までの日記である。持ち歩いている「手帳日記」には毎日の日誌5-6行記してある。それをもとに大事な日について詳細や自身の感慨などを日記にしたためたものである。社会党の片山内閣とその後を継いだ芦田民主党内閣についての空白を埋める貴重な証言である。
英語などの外国語もでてくる。また、「Lifeをよみ、十一時に床に入る」という記述もある。「今日の朝日は又してもデタラメを書いてゐる」とも。そして時折、ヤス子という孫の話題がよく出てくる。「5分間でも孫に逢うことはうれしい」。
「世の中のことは何とかなる」が口ぐせだった芦田は、「人間は思い切ってやれば案外に力の出るものである」と重責を担うときに語っている。
この日記には、総理就任と辞職のときのいきさつや芦田自身の感慨の肉声がつづられている。「私は一生通じて二度迷った。一つはミヨ子の縁談の時、今一つは今回の辞職問題である」「総理大臣の適任者がいない。それが困る」「逆境に立って苦しい時にこそ明朗な気分で、闘志を燃やすことが男子の本分であると思ふ」。
「人生は腹八分だ。も少しアシダにやらしたかったと言ふ程度で引込むのが良いのであろう」という出処進退にも私も共感する。そして芦田均のいうように、失意と逆境の時こそ、明朗なる心持と闘志とを抱き、ことにあたりたいものだ。