志入試センター会議
・経営情報学部とグローバルスタディーズ学部の現在の入試状況の確認と最終見通し。
・入試改革に向けてのスケジュール確認。
・入試改革に向けての意見交換:グローバルは元々少人数のアクティブラーニング教育、それにゼミが全学部的に始まっている状況。教育に関わる実態把握と資源の確認とPR方法を考える。アドバイザーへ基本情報と最新情報提供を頻繁に行う。偏差値と独自性の関係、、、、。
・私から:社会と大学と高校の関係。社会は問題解決力(実学)を求めている。社会人はアクティブラーニングで育っていく。多摩大の実学は現代の志塾・ゼミ力・アクティブラーニングへと進化してきた。高校は知識教育から考える力を養成するアクティブラーニングに変化しつつある。高校と大学の接続が入試、それを変えることにことによって偏差値にまみれた教育界を変えようとするのが現在の大学改革の要請だ。多摩大は附属の2高校との高大接続アクティブラーニングを構築しつつありこれが強みになっていく。多摩大の入試改革のポイントはアクティブラーニング入試だ。アクティブラーニングで学んだ高校生を、大学でさらに磨き、社会に出していくという一貫した体系の中で入試改革を考える。教育もさらに磨き上げていく。アクティブラーニング入試の中身は自然に決まってくる。このビッグチャンスを生かそう。
理事長報告(久恒・杉田)
・人事関係。多摩大出版会。入試と就職の状況。、、、、。
ラウンジ
・杉田学部長。森島課長。酒井さん。
・バートル先生:出版
・高野課長
「名言との対話」1月24日。吉野トヨ子「吉野選手には顔中にひげが生えている」
吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年2月12日 - 2015年1月24日)は、日本の陸上競技選手。ヘルシンキオリンピック・メルボルンオリンピック陸上女子円盤投代表。元円盤投日本記録保持者、五種競技日本記録保持者。
戦前は五種競技で日本記録を樹立。戦後、円盤投げと砲丸投げに転向。31歳の吉野は戦後初めて日本が参加した16年ぶりの1952年のヘルシンキオリンピクの円盤投げで4位入賞という日本選手最高の成績を残し国内をラジオで沸かせた。最盛期であればメダルを取れただろう。1956年のメルボルンオリンピックにも出場。日本選手権では100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、円盤投げ、五種競技、リレーを合わせて22回の優勝を果たしているマルチプレイヤーだった。
吉野は、山梨県庁に勤めており、現役引退後は山梨県立巨摩高等女学校で指導し、後に埼玉県教育委員会で定年まで勤務している。
後年、吉野はマスターズ陸上に参加している。1987年の67歳ではW65クラスの円盤投げで日本マスターズ新記録を樹立し、3年後の1990年の70歳ではW70クラスでも新記録を樹立した。昔取った杵柄ではないが、生涯を通じてスポーツの分野で記録を出し続けながら、後輩たちに勇気を与える生き方を貫いた姿は立派である。94歳で逝去。
山梨県立巨摩高等女学校の教諭であった吉野トヨ子から学んだ生徒が、「吉野選手には顔中にひげが生えている」と語っていたとの証言がある。そういう伝説が生まれるほどの英雄だったわけだ。