「この授業(立志人物伝)を受けてあなたはどうかわりましたか?」

授業を受けてあなたはどうかわりましたか?(最終回のアンケート)

エニアグラム<タイプ1>完全主義者

・自分がどのような人間か理解できた。・自身の志を再確認できた。最終レポートを書き終え人生の指針を決める礎とすることができた。名言に興味が深まった。・さらに歴史を好きになった。・色々な人物に興味を持つようになった。目標となるものが見つかり、悩むことが少なくなった。・偉人の名言を聞いて、自分もそういう人になろうと思い、変わろうと思う。・「みんな努力して頑張っているのだな」と思い、ぐーたらしていると「こんなコトしてる場合じゃない」と思えるようになった。・将来について深く考える時間ができた。

<タイプ2>助ける人

・自分の志が決まった。・偉人達の言葉を受け止め、自分なりの強い考えを持って生きたいと思った。・迷った時に、自分のロールモデルの人ならどうするかな。と考えられるようになった。・将来ボビージョーンズの様な人間になりたいと思った。最近では陽気な人間になろうと決心し、今では優しい人間へと変わったなと思う。・変わった事は3つある。1つ目は、歴史や偉人に興味関心を持てた。2つ目はエニアグラムの存在を知れた。3つ目は、人物を図解することにより頭の中を整理しつつ理解を深めるという事が出来た。寺島学長を選んだ。・100歳を超えている人が多いことに驚いた。

<タイプ3>成功を求める人

・目標にする人ができたので良かった。・偉人から学んだ事を社会活動に活かしていく。

<タイプ4>芸術家的な人

・日本の文化の成り立ちなどに更に意欲がわいた。・誰かをテーマにして人生を生きるのは大切だと思った。・20歳になり人生の4分の1が終わった。一日一日を無駄なく過ごしたいと感じた。20代は積極的に行動したいと思った。

<タイプ5>観察者

・「学ぶ力」を得られた。・井伊直弼を調べている内に更に知らなかったことに触れ、より一層好きになった。・どのように生きていくのか指標を見つけ出すことができた。

・価値観が広がった。・エニアグラムが好きになった。・坂本龍馬についてレポートを書いた。調べて図解したらその人について良く分かった。・目標にする人物を明確に分析することでさらに理解が深まった。・意識が変わった。・個人的に気になった人物を調べていこうと思う。・人物について図解することは新鮮だった。尊敬している人を見て、自分に活かせるところはないかという考えを持つきっかけになる授業だった。

<タイプ6>忠実な人

・この講義のおかげで自分の人生を見つめ直すきっかけになった。・見習うべきものが増えたので楽になった。・考え方や価値観が大きく良い方に変わることができた。エニアグラムは活用したい。この講義によって大きく成長できた。受講することができて良かった。・井伊直弼について調べた。知らずにいた部分が知れて良かった。・偉人の真似をする、ということを学んだ。・自己分析ができるようになった。・自分も何か世の中に役に立てるような人になりたいと思った。・アルベルト・アインシュタインは偉大。

<タイプ7>冒険者

・4月から仕事が始まるが、辛いことや苦しいことがあるときは、ポジティブに物事を考えて、壁を乗り越えていきたい。・歴史に残った人物の話は、刺激的だった。

<タイプ8>独裁者

野口英世の様に努力して成功する人になりたい。・お手本にしたい人を決めることができた。・自分の人生について考える時間ができた。

<タイプ9>調停者

・考え方や成した事を深く考えるようになった。自分の頭の中で図解も使えるようになった。・生活習慣と考え方が、良い方に変化した。・山あり谷ありを好む人間たちの話を聞くのが面白かった。・新しい表現法を見つけることができた。・やりたいことを全力でやる。・行き詰まることがあったら、この講義で聞いた言葉を思い出したい。

<タイプ?>

ロールモデルを発見した。・興味を持つ幅が広がった。計画を立てて行動するようになった。自分の興味、価値観、心がけを変化することができた。・自分の人生を今からでも見つめ直してみようと思った。・偉人達が書いた本を読みたい。・自分の志が明確になった。・楽しい講義だった。・特別講座の解説もあり、復習の大切さを学ぶことができた。分析する力が、身についた。・自分の向き不向きが多少分かった。・お年寄りの方とのコミュニケーションをはかる時にとても会話が弾むと思う。・偉人の言葉は、前向きになれる、背中を押してくれる言葉だった。・改めて言葉の大切さが身にしみた。・多くの偉人の尊敬する部分が見えた。・ロールモデルと心を重ねていきながら物事を考えるようになった。・白洲正子を取り上げた。・人に強い影響を与える人は偉い人である。・偉人の言葉に影響を受けた。・来期もこのような授業があったら取りたい。

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午前

・久米先生と懇談:グーグルマップが素晴らしいとのこと。「墨田区から四輪駆動で雪の中をスイスイと運転できた」。

・「立志人物伝」の最終回の授業。大雪のため、遅刻者が多かったが、最終的には出席者は多くなった。

 

午後

・近藤秘書と打ち合わせ

・松本先生:多摩大総研の人事案件(客員教授)。多摩大出版会。

・阿部多摩市長、浦野企画政策部長、若林シティセールス政策監らが新年の挨拶に見える。杉田学部長、小林学長室長、松本地域活性化委員長、高野課長で対応。ブランディング事業、マンホール、橋、、、。

・杉田学部長:情報交換

 

 

「名言との対話」1月23日。戸板康二「道にはトレーニングがつきもの。道とつく限り、鍛錬を抜きにしては考えらえません」

戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は日本演劇歌舞伎評論家推理作家随筆家直木賞作家。

『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫)は「人物歳時記+人物風土記」ともいうべき珠玉のエッセイ集だ。34人の昭和史を彩る各分野で傑出した人物たちの見せる際だった個性を楽しみながら書いたものだ。戸板は締めきりに遅れたことがないというのだが、本を読んでいくと苦しみながら書くのではなく、楽しみながら書いている姿が浮かんでくる。昭和の雰囲気と、その時代を生きた文化人たちのほのぼのとした味わいを感じる名著だ。取り上げた各人物にまつわるエッセイのネーミングが実にうまい。 江戸川乱歩の好奇心。徳川夢声の話術。有吉佐和子の笑い声。芥川比呂志の酒席。三島由紀夫の哄笑。川口松太郎の人情。田辺茂一の大鞄。花森安治のスカート。寺山修司の国訛。大谷竹次郎の劇場愛。渋沢秀雄の童顔。小泉信三のステッキ。東山千栄子の挨拶。、、。

・乱歩は若い頃から自分に関する新聞雑誌の記事や読者からの書簡をファイルしスクラップブックに張り込むのが楽しみだった。それが『探偵小説40年』という大著の基本資料になった。・徳川夢声は1時間のひまがあると時間にかかわりなく映画をみて、本屋で何か買うという習慣。新しい話題を持っていたが、スキャンダルと猥談はしなかった。禁酒ならぬ停酒。・芥川比呂志は酒をいくらでも飲めた。芥川飲み介。渋谷の「とん平」、新宿の「五十鈴」、代々木の「なおひろ」。銀座の「「はちまき岡田」、出雲橋の「はせ川」、七丁目の「よし田(そば)、、。)・獅子文六という筆名は、四四十六をもじったのではなく、文五(文豪)に一つ足したのだと笑っていた。・田辺茂一。「夜の市長」。『わが町・新宿』には田辺のすべてが語られている。・渋沢秀雄は訥々とした口調と童顔の人。父の栄一の遺伝か。・玉川一郎。『シャレ紳士録』。秋深し水洗便所の音高く。

戸板康二『ちょっといい話』(文藝春秋)。 有名人が起こすちょっと面白いエピソード集であるが、時間が経っているのでおかしさが分からないものも、ままある。共通のバックグラウンド、教養などがユーモアには欠かせないということだろう。 「各界名士500人の珍談・奇談集。直木賞作家・劇作家・評論家の著者が半世紀書きためた交友録から最高傑作を公開するユーモア笑事典」。「後記」から。「挿話に興味を惹かれる」「傑作は日記に要点だけ書きとめる」「最後は、落語のサゲのような一句」「幕末から明治大正」「二百字の原稿用紙に一話ずつ」。

・日夏「われらの国語を、路傍の石のごとく動かすのはやめろ」(山本有三へ)・川端康成「じゃ払わなきゃ、いいはありませんか」(吉行淳之介が「銀座のバーが高くなった」と嘆いたのに対して)・遠藤新「君は代議士、ぼくも大技師」(星島二郎へ)・野上弥生子は読んでいた本にも赤鉛筆で文章を直していた。・草野心平は「火の車」(税務署対策)と「学校」(家の人対策)という酒場を持っていた。・瀬戸内寂聴「いいえ、私はアマです」(「プロって大変ですね」に対して)・朝倉摂「いやだわ、元代々木だなんて」(元共産党員の朝倉摂が住んでいる町の名が改正)・榎本武揚「まからねえか?」というよと、イタリアのレストランでは「マカロニ」を持ってきた。・島崎藤村「君、死ぬってどんな気持ちがする?」(田山花袋に聞いた)・佐々木邦「なるほど、翻訳家の家だ」(戸川秋骨の家は門から玄関までが洋風、中に進むと和風)・久保田万太郎「いいえ、あなたの俳句は、退歩しています」(渋沢秀雄「私の俳句は一向進歩ませんで」への返答)・小沢昭一光源氏の役以外は、出演しません」(テレビやドラマの出演を断る口上)・「切腹」(小林正樹監督)宣伝部「切腹もタケミツ、音楽もタケミツ」(刀は竹光、音楽は武満徹)・菊池寛「文才のある文学青年ほど、困ったものはない」・高浜虚子「選句は選者の創作です」・武者小路実篤「雑誌にたのまれたら書く。ことわるより書く方が早い」・山田耕筰「いい歌だなと思って聞いていたら、君ねえ、それは、ぼくの曲だったんだよ」

自分の分野を歩く。それは必ず「道」になる。道には「鍛錬」が必要だ。一千日が鍛であり。一万日が錬であると武蔵が五輪書の中で語っている。鍛えるのに3年、練るのに30年かかる。戸板康二は77年の生涯の50年をかけて172冊の著書を刊行している。その分野は評論・評伝、エッセイ、小説、戯曲、句集、対談、テレビドラマの原作など、実に広い。文人だった。詳しかった歌舞伎、演劇に限らず、人物論にも鍛錬でつくられた道がみえる。

 

 

 

 

ちょっといい話 (1978年)

ちょっといい話 (1978年)