渋谷の松濤美術館で開催中の「斉藤茂吉--歌と書と絵の心」展。
斉藤茂吉は「赤光」から「つきかげ」まで17冊の歌集を出した。生涯の歌は1万8千首。
「写生道」という見事な書をみた。正岡子規の「写生」に道をつけたのだ。
「実相観入」という書は、実相に観入して自然・自己の一元の生を写す。という意味だ。対象とひとつになりきることによって「生」を写す。子規の写生を発展させたもの。
歌論集『柿本人麿』は原稿用紙製本14冊。8年かけた研究。単行本5冊の大著。帝国学士院賞を受賞。
茂吉は63歳から本格的に絵を始めた。80点。
----------
同じく渋谷松濤のギャラリーTOMで開催中の「山縣百合子を偲んで」展。
工芸の人。1967年に女子美工芸科卒。1970年国画賞受賞、日本民芸館展初入選。1974年日本民芸館展奨励賞。2009年、64歳で没。
-----
ラウンジ
・小林経営情報学科長:出口から考える。
・杉本係長:来年度の戦略会議の日程
・高野課長:大学院の入試状況
・志賀先生・趙先生・飯田先生:脳波
研究室
・書類整理
・書棚整理
--------------
「名言との対話」2月28日。山下俊彦「一番気を付けなければならないのは報告ですね。それも、相談する形で報告するのが、一番大切です」
山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2012年2月28日)は、日本の実業家。松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)の3代目社長。
工業高校卒の叩き上げで、創業者松下幸之助による異例の大抜擢を受けて取締役26名中序列25番目から1977年に58歳で社長に就任した。この大抜擢人事は、体操選手の山下治広が披露した跳馬の技にちなんで「山下跳び」と呼ばれ話題になった。社会人になって数年しか経っていない北海道勤務の時代だったからよく覚えている。取締役の末席にもかかわらず、すけずけと意見を言っていたのを松下幸之助が見初めたのである。
以下、山下語録。
・短所を直すにはすごいエネルギーが必要さけど、長所を伸ばすのは楽である。
・人間をつくるということは、仕事をまかせるということ。
・無難な人事では意味が無い。意外性のある思い切った人事こそ人と組織を生かす。
・決定するのがリーダーです。結論は間違ってもよい。そのときにとれる最上の決断であればいい。
・再建のポイントは、会社の経営状態の悪さを従業員に正確に知らせることだ。
・社会を取り巻く環境の変化と、自分の仕事との関係をいつでも基礎的、歴史的にみつめよ。
山下俊彦は若い頃から「仕事は仕事、人生は人生」と割り切り、本をよみ、山に登り、碁を打った。自分の時間を大事にした人だ。社長になってからも、「(創業者に)気配りなんかしていたら、仕事にならんですよ」と思い切って仕事をした。仕事に関する名言が多いが、特に「相談するという形で報告する」という知恵には同意する。そして山下俊彦は楽観的な精神で社長業をこなし、終わったら会長にはならずに、相談役に退いている。この人には何か人間としての健やかさを感じる。