「福沢一郎展ーーこのどうしようもない世界を笑いとばせ」(東京国立近代美術館)ーー現代の世相も地獄じゃないか。

「福沢一郎展ーーこのどうしようもまい世界を笑いとばせ」(東京国立近代美術館)。

福沢一郎(1898-1992)「俺あシュールレアリストなんかじゃねえよ」

戦前はシュールリアリズム(超現代主義)を日本に紹介。前衛美術運動リーダー。戦後は人間群像の大作に挑む。

富岡市出身。仙台の第二高等学校。東大文学部卒。朝倉文夫のもとで彫刻を学ぶ。パリ留学中に絵画に転向。33歳、帰国。38歳、福沢絵画研究所。41歳、美術文化協会を結成。43歳(1941年)、治安維持法で検挙。54歳(1952年)から57歳まで渡欧。ブラジル、メキシコを経由して帰国。55歳、芸術選奨文部大臣賞、「埋葬」が国内大賞。62歳、多摩美客員教授。66歳、女子美大教授を兼任。74歳、東京駅にステンドグラス「天地創造」。80歳、文化功労者。95歳、文化勲章。94歳、死去。

敗戦群像。黒人の公民権運動。ダンテ『神曲』時獄篇。源信『往生要集』に基づく東洋の地獄。現代の世相を地獄に見立てた連作。ギリシア神話旧約聖書魏志倭人伝などの題材を求める。人間嫌いのヒューマニスト

人物を裸体として群像的に扱うという方法論。「世相群像」「復興」「敗戦群像」「樹海」、、、。

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「地獄図は描けても、天界のそれはむずかしい。フィフス・アベニューよりもハーレムに、天衣よりもつづれに、従順よりも反逆に、美は閃光を放つのではないか」。

「現代の世相も地獄じゃないか。往生要集もダンテの『神曲』もそのときの世相の反映だったのだから、広くみて自由勝手に描いた方が、むしろ地獄図としては面白いとおもうのです」。「政治家地獄」。「倭国大いに乱れる」「倭国内乱」。

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2019年5月4日の東京新聞では、世田谷区砧にあった福沢一郎の自宅が記念館になっているとの記事が出ていた。長男の妻が現在館長。「笑い」をテーマとした企画展を開催中。出身地の群馬県富岡市にも福沢一郎記念美術館がある。

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「名言の暦」の校正:9月、10月終了。参考文献の再チェック。

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「名言との対話」5月2日。佐藤慶役者は舞台。素顔をぶらさげて街中を徘徊するもんじゃない」

佐藤 慶(さとう けい、1928年12月21日 - 2010年5月2日)は、日本俳優ナレーター福島県会津若松市生まれ。

会津若松市役所に就職したが、演劇活動に熱中し、無断欠勤で演劇大会に出場し、馘首される。1950年上京し、1952年には俳優座養成所の第4期生となる。同期には中谷一郎仲代達矢宇津井健

1960年の大島渚監督の「青春残酷物語」に出演してからは、大島作品に出ずっぱりになる。「太陽の墓場」「日本の夜と霧」「無理心中・日本の夏」「絞死刑」「帰って来たヨッパライ」、、。連続強姦殺人犯の役柄から、旧式家庭の長までの演技ができる器用な俳優である。佐藤慶は感度の高い勉強家だった。大島監督がが「次は○○をやるので、原作を読んでおけ」と呼びかけると、「僕もう読んでます」と声をあげるのはたいてい佐藤だったという。

俳優の田口トモロヲは「大島渚組の映画が思想運動だった時期の常連。主演も脇もイケるリバーシブルな存在で、ニヒルな唇とカギ鼻の顔ぢからで、常に時代へのNOを体現する。『CMはやらない』という生き方を最後まで貫いた孤高のバイプレイヤー」と佐藤慶を評している。

知的でニヒルな容貌。感情を殺したクールな演技。39歳時点の「白い巨塔」の財前五郎役では冷酷なエリートを演じ、強烈な存在感を発揮している。また、落ち着いた低音を生かし、小林正樹監督の映画「東京裁判」などのナレーションでも活躍した。

今回、ユーチューブで佐藤慶の朗読とドラマの映像を確認した。谷崎潤一郎の『秘密』(1911年発刊)を聴いた。人付き合いがわずらわしくなって市井の中に隠れる話だ。この本は読んだことがある。朗読で聴くと映像が見えるような気がするのは、佐藤慶の声の威力だろう。1910年刊行の『谷崎の刺青』は21分の短編である。泉鏡花高野聖』は2時間以上の大作。淡々と流れるように進む。気持ちのよい響きである。 TBSのオンデマンドの『思い出づくり』は福島弁の中年を演じた映像で、主人公を好演している。

佐藤慶の人生と作品を眺めると、映像、声などを披露する本舞台を大事にしていたという印象を受ける。素顔をみせず、徒党を組まず、馴れあわずに、孤高の態度で邁進した。存在感が強く、忘れがたい俳優である。