「山本二三展ーー日本のアニメーション美術の創造者」(東京富士美術館)

八王子の東京富士美術館で開催中の「山本二三展ーー日本のアニメーション美術の創造者」。スタジオ・ジブリのヒット作の背景画を描いた人である。

1953年長崎県五島列島福江島で生まれる。中学を出て集団就職岐阜県の石材会社に就職。工業高校の夜間定時制の建築家に通う。中学・高校時代に高畑勲が演出補佐をつとめた「わんぱく王子の大蛇退治」などのアニメをみて、絵でもこういう分野があるのかと衝撃を受ける。卒業後は働きながら夜間のアニメーション専門学校で学ぶ。上京しアニメ制作会社に入るが、ここでも武蔵野美術短大学通信教育部美術学科に進学する。そして1978年、24歳でNHKTVのシリーズ「未来少年コナン」(宮崎駿演出)の美術監督をつとめたことから人生が回っていく。高畑勲宮崎駿という天才たちの身近にいて、一緒に仕事をする幸運に恵まれた。高畑勲からは「描けない時は詩を読め」、宮崎駿からは「絵画でなく自然な風景を描いてくれ」と言われた。

山本の経歴では、定時制高校、夜間専門学校、通信教育で学んだというところに感銘を受けた。また宮崎駿が「山ちゃんはやめろと言わない限りずっと描いている」と評するほどのすさまじい描きこみの人である。ハンセン氏病を描いた「もののけ姫」では、「シン神の森の入り口から、頭が痛くなるくらいに描いた、死んだら棺桶に入れて欲しい」とまで語っていた。最近作の「希望の木」という作品でも、描いたときは「魂に導かれるようだ」と述懐している。こういう逸話があるくらいに、背景画に没頭する人である。

2018年には故郷に山本二三美術館が開館している。今なお現役で活躍中だ。

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時をかける少女」の「真琴の家」の絵を購入。

図録を読み始めた。

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ジム:スイミング500m

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「名言との対話」7月13日。浅利慶太「読み、書き、そろばん」ではなく、「読み、書き、語り、そしてそろばんもなのだ」

浅利 慶太(あさり けいた、1933年3月16日 - 2018年7月13日)は、日本の演出家実業家である。

1953年、慶應義塾大学を中退し「劇団四季」(命名芥川比呂志)を結成。1961年、28歳で石原慎太郎と共に、新設の日生劇場の制作・営業担当取締役に就任。劇団四季を集金力と集客力で大組織に変貌させた。2014年、四季株式会社社長を退任。

若いころから五島昇などの財界人、そして政治家とも多くの付き合いがあり、それが浅利がなした事業を支えていた。40年に及ぶ政治家とのつきあいがあった。本人は、政治家との付き合いには覚悟がいる。ものごとを頼まない、自分の利害を持ち込まないことを心がけたという。『佐藤栄作日記』の中に浅利の名前は19回出てくる。浅利は佐藤のなまりを直す家庭教師だった。佐藤は人の話をよく聞く耳の大きい人だったと述懐している。また中曽根康弘ほど人の話をしっかり聴く人はいないとも語っている。傑出した総理二人はまわりに民間の人を置いて耳を傾ける人だったようだ。

「キャッツ」「オペラ座の怪人」「ライオンキング」などのミュージカルから、「オンディーヌ」「ハムレット」まで、約130本の劇団四季作品の演出、プロデュースを手掛け、その上演回数は1万回を超える。長期ロングランの「キャッツ」などを成功させ、日本にミュージカルを定着させた功労者だ。1998年の長野冬季五輪では開閉会式の演出を行った。「芝居で食べられるようにしたい」という目標を掲げ、観客動員300万人、年間公演数3000回、俳優・スタッフを含めて劇団員は約1300人という日本最大の劇団に育て上げた。「若い日本の会」を一緒につくった慧眼の批評家・江藤淳は「浅利慶太は楽しませ上手であって、演劇の極北を目指す芸術家ではない」とはっきり書いた。そのことが以上の浅利の活動に影響を与えているようにみえる。浅利慶太の部下の人に浅利慶太という人物のことを聞いたことがある。相当に激しい人で、劇団四季では抜擢もあるが、降格もしょっちゅうあるとのことだった。

 『浅利慶太 時の光の中で』を読んだ。印象的だったのは、演劇・劇場論ではなく、浅利は日本語を研究して「母音法」を発見していることだ。日本語の子音は口の形であり、日本語は音はすべて母音を響かせて成り立っている。あいうえお、を練習する。そして一音一音を問う感覚で並べる意識で語る。この発声法を発明した。姪の小谷真生子キャスターはNHK時代からこの法を取り入れていたように、演劇やアナウンサーなど、「語る」職業には有効だ。これはわたしも取り入れたい。

浅利慶太は前・豊後(大分県)の男は、シンプルで、アバウト、豪快と評している。アバウトの部分はわたしも思いあたるところがあり苦笑しながら読んだ。

時の光の中で 劇団四季主宰者の戦後史

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