「ヨガができる心と体に感謝して今日も素晴らしい一日をお過ごしください」

ヨガ1時間15分。「ヨガができる心と体に感謝して今日も素晴らしい一日をお過ごしください」。いつも思うが、先生(女性)が最後に手を合わせながらいうこの言葉には勇気をもらっている。

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理容院で散髪。

昨日の五條堀先生とのZOOM対談動画を入手。

課外授業「名言との対話」の準備:なぜやっているのか? 何を書いているのか? どのようにして書いているのか? なぜ続けることができるのか? 職業・仕事ごとに名言を整理してみようか。

NJ出版の原稿を読む。修正すべき点をチェック。

夜は深呼吸学部:渕上周平。編集者。「ソーシャル・ビジネスの過去、未来、現在」。聖徳太子。仏教と土木。行基(668-749)。空海(774-835)。重源(1121-1206。東大寺の再建)。明治は社会=国家。大正は公益と国益は一致しない。昭和・戦後は国益ではない公益は存在するか?。林雄二郎はNPOの祖父。、、、。

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「名言との対話」3月6日。アラン・グリーンスパン「根拠なき熱狂」

アラン・グリーンスパンAlan Greenspan1926年3月6日 - )は、アメリカ合衆国コンサルタントで、マネタリスト経済学者

ニューヨークのユダヤ系の家庭に生まれる。ジュリアード音楽院クラリネットを学び、プロのバンド奏者として働く。ニューヨーク大学で経済学を学び、博士号を取得。1954年経済コンサルティング会社を設立。1962年から1974年まで国際投信ドレフュスファンドの取締役。1974年から1977年にかけてフォード政権の大統領経済諮問会議(CEA)委員長。1987年、レーガン大統領により連邦準備制度理事会FRB)議長に指名される2006年まで18年間つとめ、世界経済の司令塔として活躍した。

『波乱の時代ーわが半生とFRB』(上巻・日経新聞出版社)を手にした。

分厚い本文を読むのは骨が折れるが、幸いなことにグリーンスパン自身の節目の写真には、コメントが記されていている。

大恐慌の終りを予想した父の著書『来るべき回復』では「あまえが大人になったときに振り返って、この論理的な予想の背景にある根拠を解釈し、おまえ自身の仕事をはじめるよう期待している」と息子への献辞を紹介している。

ヘンリー・ジェローム楽団ではサックスとクラリネットを担当し東海岸各地で演奏した。楽団員の納税申告を引き受けていた。

人生に大きな影響を受けた師。アーサー・バーンズは景気循環の研究で画期的な業績をあげた博士課程の指導教官。大統領経済諮問委員会議長、FRB議長。アイン・ランド・バーン(女性)は経済学、人間の行動と社会の動きを理解させてくれた。

大きな影響を受けた3人。思想的に影響を受けたアダム・スミス。ジ人生、自由、財産に関する基本概念を学んだョン・ロック。創造的破壊と技術の変化に注目させたジョセフ・シュンペーター

設立したコンサルティング会社の幹部のほとんどは女性だった。

1967年のニクソンの大統領の選挙運動のスタッフだった。ニクソンは優秀だったが、暗い面があり政権には参加しなかった。

経済諮問委員会委員長就任時は。ウオーターゲート事件、原原油価格急騰、インフレで国が動揺していた厳しい時期だった。

大統領首席補佐官の執務室では毎夕に好感が話し合う。グリーンスパンはカーペットに寝て腰の痛みを和らげた。

1980年の共和党大会で、キッシンジャーグリーンスパンは、フォードに前大統領にレーガン候補の副大統領になるよう説得したが、ドリームチーム交渉は決裂し、ジョージ・ブッシュが副大統領候補に選ばれた。

1987年。レーガン大統領がグリーンスパンポール・ボルカーの後任としてFRB議長に任命した。わずか10週間で株式の暴落という試練にさらされた。

1991年、父ブッシュ大統領FRBの軋轢は解消しなかった。

FRBのオフィスでは、毎日かならず、静かに研究し考える時間をとった。

以上の写真とグリーンスパン自身のコメントで、彼の生涯の概要がわかるという感じがする。グリーンスパンの言葉として覚えているのは「根拠なき熱狂」だ。1992年に民主党クリントン大統領から3期目のFRB議長に再任されたが、1年で26%の株式上昇があった。グリーンスパンは入浴中に思いついた「根拠なき熱狂」を使ってその事実を肯定した。今では反対の熱狂を戒める言葉になっている。歴史的な名議長が語ったこの言葉は、バブルをあらわす言葉として、この今も、そして今後も使われるだろう。

波乱の時代(上)