『私の死生観』(角川oneテーマ21)からーー三枝成彰の計画的ライフワーク

『私の死生観』(角川oneテーマ21)を読了。

三枝成彰。1942年生まれ。作曲家。

どうしても書きたいオペラ「平家物語」四部作。計16時間の大作。「平家物語」という残酷な時代はどういう時代だったかを示す。残酷な時代と残酷でない時代が交互。奈良。平安(350年)。戦国。江戸(260年)。近代(70年)。現代(70年)。これから残酷な時代か。周期が短くなってきている。

一本書くのに3年だから12年。一本に3000から4000時間。一日8時間で2000時間。一日11時間という感じ。2017年から準備。2020年(78歳)、2023年(81歳)、2026年(84歳)、2029年(87歳)。「リング」は越えたい。四部作がやり遂げられたら、「長屋王」と「関ケ原」。93歳になる。

「これを書き上げるまでは死ねない」という執念があればという期待。「隠居より討ち死にがいい」。「一つのテーマを持ってやりたいことをやるのが大切」

ワーグナー「リング」「ワルキュール」「ジークリフト」「神々の黄昏」は14時間。オペラは68歳まで。

ヴェルディは28本。80歳で最後の「ファルスタッフ」。87歳で死。例外。

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安藤和津。1948年生まれ。夫は奥田瑛二(俳優。1950年生まれ)。

「90歳まで生きるとして残りの時間が20年ちょっとなら。これからは私が個人として生きる時間として使わせていただきたいんです。」

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この本ではないが、思いだしたので以下、記しておく。

宮本輝。1947年生まれ。作家。

35歳の時に「1年2本ずつ50年書くと生涯100本の長編小説を書ける。純文学で世界一」といわれた2012年66歳時点では「85歳まであと20年小説を書きつづけたい」と語っている。実績を調べると、35歳以前が『蛍川』など4本。35歳以降2015年の68歳『田園初 港行き自転車』まで33年で42本だ。85歳までこのペースだと26本となり、生涯で71本となる計算だ。

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「川柳松戸」3月への投句。

「全集」第7巻の編集がほぼ完了。

幸福塾の準備:計画者。

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「名言との対話」3月9日。木村庄之助(第22代)「風格あり、声良し、姿良し、形良し、人格、識見、土俵態度、うちわ(軍配)裁き、掛け声、名乗り上げ、顔触れなど、すべてにおいて抜群」

22代 木村 庄之助(にじゅうじだい きむら しょうのすけ、1890年3月1日 - 1994年4月23日)は、大相撲立行司。

栃木県鹿沼市出身。大相撲の近代名行司の第一人者で、行司史上屈指の名人。

1886年、9歳で初土俵。22歳、十両昇格。25歳、幕内昇格。32歳、三役昇格。49歳、立行司に昇格し第15代式守伊之助を襲名。1932年、55歳で第20代木村庄之助を襲名。1933年、58歳で「松翁」の名誉尊号を贈られる。晩年は大横綱双葉山の相撲を裁いている。1940年、61歳で現役のまま死去。葬儀は史上初めての大日本相撲協会葬だった。

行司の仕事とは何か。土俵入りの先導、土俵祭りの司祭、場内放送、各種重要会議の書記、巡業では先乗り親方の穂さ。所属部屋では番付の発送、冠婚葬祭の仕切りなどを行う。

立行司は直垂、烏帽子を着用。立行司と呼ばれる最高峰は、木村庄之助式守伊之助の二人。木村の房は総紫、式守は紫白。履物は白足袋、草履。装束は夏は麻薄地、冬は絹厚地。左腰に短刀、右腰に印籠。軍配は漆塗り。今は成績考課制度だが、立行司は自己責任で進退が委ねられている。進退伺いという慣例があるのはこのためだろう。

「はっきょい」という掛け声は力士が動かないときにかける言葉で「発揮揚揚」を意味している。「残った」は技をかけている場合に頑張れを意味している。

20代木村庄之助は「松翁」という名誉尊号を贈られている。行司界の「松翁」号は代々の木村庄之助中の抜群の名人にのみ許される尊称で、長い大相撲史上3人だけである。松翁の名誉尊号を許された20代木村庄之助に匹敵する名行司と称えられた、22代庄之助もこの尊称をもらう話があったのだが、最終的には流れてしまったのは惜しい。22代は「20代を「風格あり、声良し、姿良し、形良し、人格、識見、土俵態度、うちわ(軍配)裁き、掛け声、名乗り上げ、顔触れなど、すべてにおいて抜群」と評し、「この人の真似をすることが上達の近道だった」と語っている。

大相撲には、力士以外にも、呼び出し、床山、行司という仕事がある。それぞれ、独特の昇格制度や待遇があり、その道の名人がいる。今日は、行司の世界を垣間見ることができた。