図解塾:梅棹忠夫「諸文明における宗教の層序学」の講義が終了。

「図解塾」第6期⑪。

「諸文明における宗教の層序学」の講義が終了。

  • 「3つの知能」の図解。「全体知」の図解。「仏教の唯識という人間観」の図解。
  • 「宗教の層序学」の「純情地帯」の図解。

以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日もおつかれさまです。本日図解塾、先ずは企業ミュージアム探訪再開のお話を久恒先生からレクチュア頂きました。味の素文化センター「食は文化」1989年創立「食の文化ライブラリ」「食文化展示室」「注目のトレンド:世界で65歳以上の人口15億人、21世紀末までに平均気温+4.8℃」「ウエルビーイング」、池田菊苗(1864-1936)グルタミン酸ナトリウム(=味の素)を発見。日本人の味覚を背負う大企業の「全方位型」「立派」なミュージアム。ふたつ目、東洋製缶「容器文化ミュージアム」、容器包装の役割とは?「中身を守る」「使い易く片づけ易い」「色・デザインで使える」、創業者高崎達之助(1885-1964)、政治家としても1950年代アジア・中国との外交で活躍、日中相互貿易(LT貿易:「T」は高橋のイニシャル)を締結、「このような人物は二度と現れまい」と後年周恩来が追悼の言葉。「スゴイ男」が居た。続いて「戒語川柳」、だいぶ溜まって来た、当方お気に入りは「瀬戸際の冷たい汗がなつかしい」…只今現場では「脂汗、怒涛に押し寄せるピンチ!」…果たして今後の年月でかいた汗は清涼化されるか…、一方、「万能川柳・名人選」宮本佳則(1951~、 本業:開業医)版より…「飛び乗って逆方向へ連れてかれ」…終電あるある、呑み会注意!さて本題、その1.寺島先生提唱「3つの知能」では、①流動性知能(記憶)、②結晶性知能(体験と文献、「努力」で増える)これらはアタマで体系化される、一方③唯識性知能では「感覚と意識」:前五識(五感)、六識(左記に加え「意識」)、七識(左記に加えて「末那識(自我・執着)」)、八識(左記に加え「無意識より深い"阿頼耶識")と、カラダ/ココロ双方に網羅して体系化されている(?)…うーん難読、別途再確認が必要。続いて専門知・総合知・全体知のおさらい、「専門知」とは、いろいろなジャンルが点在する様、1次元、商店街のイメージか?、「総合知」とは、分野毎に集まっている様、2次元、Universutyの中のCollegeのイメージ、「全体知」とは、相互分野同士が関連し整理されている様、3次元的、企業体(目的とする生産的な活動の為、様々な部署が協力連携する)のイメージか?…「全体知」はまさに図解の世界観と同じ!「知の世界」の情報を集めた久恒先生の「メモ図」を見せて頂くも、一瞥で「広く深い」世界に対し腰据えた「学び」の継続が必要と直感し、ワクワク致しました。本題、その2.は梅棹先生の「宗教の層序学」の続き、本日は「巨大文明の辺境=純情地帯」についての学び。中国‐インド‐中東の「巨大文明」地点から遠く離れた日本、スラブ(東欧)およびゲルマンの地では第1層期での「民俗宗教」の支配は無く、第2層期にようやく夫々の地で仏教・キリスト教が伝来・定着、その後第3層期においても「精神の免疫性」は維持され他の宗教伝播(巻き返し)は起こらなかったそう…。日本においては6世紀半ばに朝鮮半島を通じ仏教が伝来したとされていますが、その後の「巻き返し」な無かったものの、我々は正月神社へ初詣し1年の無病息災を祈り、盆には寺で先祖を供養し、そして歳の暮れにはクリスマスでキリストの降誕を祝い、と…ほぼすべての日本人の生活に仏教以外の宗教行事が定着していますが、伝来するモノ・コトを上手く取り入れる、新しいモノ・コトに興味を示し受け入れる、好奇心旺盛な国民性を改めて意識させられました。一方、近代日本ではアメリカ式の資本主義によって全国民全てのココロの深層部に根付いた「拝金主義」こそが現代日本人が信ずる真の「拠り所」ではないかと考える次第です。しかし今後経済のみならず、あらゆる分野でアメリカのリーダーシップは衰退し、日本国内での経済格差増大するといった状況を鑑みると、「不満」という名の得体のしれない強大な力が近未来の日本を襲う事態になりかねず、今後「新たなココロの拠り所」模索の必要性(➡幸福塾!)を痛感したことが本日一番の学びとなりました。今後の「梅棹文学」の図解は世界史観点での日本の姿という新たな分野へ移行するとの事でこちらも益々ワクワク致します。有難うございました。
  • 本日もありがとうございました。深い内容でした。まず、唯識に迫ろうとする手書きの図解に迫力を感じました。5識、6識までは分かっても、7、8、9識となるといまだに理解できていません。どんな状態なのか、想像すらできません。岡潔が脳の働きで説明していたそうですが、私も5,6あたりは脳のそれぞれの感覚野と連合野で分かるような気がします。しかし、脳の深い部分にある原始的な動物も共通にもっている情動の部分はどこに位置づけたらいいのだろうと思ってしまいます。ともかく、7,8,9識に多少なりとも迫れるよう勉強したいと思います。後半の世界の宗教の層状構造。歴史の中で各地域にいろいろな宗教が現れ、栄え、衰えたが共通なのは絶対的なものを信じるということ。それぞれの地域で人々がこの世の苦しみからのがれ心の平安を求めて必死に祈る姿が脳裏にうかんできました。 日本人というのは不思議な民族だと改めて思いました。外から入ってきたものをそのまま使わずに日本化してしまう。たとえばマリヤ観音のように。道祖神やお地蔵さんのこともよく知らないし、キツネが神様になっているお稲荷さんとか、わからないことが多すぎます。経済至上主義でひた走ってきた日本人が、経済でも科学でも人権でも地位を低下させ、いったい何を支えにこれからやっていくのか、大いに気にかかるところです。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。前半の「仏教の唯識論」。前五識・六識(意識)・七識(末那識)・八識(阿頼耶識)・九識(阿摩羅識)について考える、というとても難しいものでしたが、日常的に使っている「五感」や「第六感」という言葉とも深く関係していて、大変興味深く伺いました。前五識(眼・耳・鼻・舌・身)までは頭のはたらき。六識から後は心の働き。顕在意識や潜在意識の違いも含め、脳科学・生物学・AIなど科学の力と仏教の考え方が交差する感じがして、とても面白く感じました。次に梅棹先生の比較宗教論の続き。巨大文明から見て「辺境」地帯である日本は宗教免疫がなく「純情地帯」。仏教が入ってきた後は、他の宗教の本格的な伝播が難しいとのことですが、年中行事の中などに違和感なく取り込まれていたりと、やはり八百万の神を拝む土壌があるのだなと感じました。今回の一連の比較宗教論の中で、「諸文明における宗教の層序学」の図解は、世界全体の宗教を地理的、歴史的に一望することのできるとても分かりやすい図解だと改めて思いました。いろいろな場面で見返す機会がありそうです。ありがとうございました。
  • 本日も梅棹ゼミ、ありがとうございました。仏教の唯識論についてとても興味深く感じました。大きく分けると顕在意識と潜在意識に分けられる説明をお聞きしました。まず頭に浮かんだのが、よく見かける「氷山の一角のイメージの図」です。水面上のほんの少し見える氷山の一角が、顕在意識で、水面下の大きな岩が、潜在意識で顕在意識は、表層意識として第5識(情報の収集)第6識(意識:情報の統合)にあてはまり、潜在意識は、第7識(自我)、第8識(人間の本質)、第9識(無垢、清浄の世界)となり、氷山の下の大きな岩の部分になるのではと思いました。 氷山の一角だけを見るのではなく、隠れた部分を見ることが大切で、特に氷山の水面下の底の岩の部分は、第9識に相応し、ブッダやイエスキリストや天照大神など人知を超えた存在などに相応するのではと思いました。確かに、神社やお寺は、心が洗われるような「清浄の世界」のイメージがあります。そのことは、「諸文明における文明の層序学」の図解にも、関連しているのではと思いました。「諸文明における文明の層序学」の図解は、キリスト教や仏教、八百万の神々、イスラム教、ヒンドゥー教など、一つ一つが、「唯識論」で例えると第9層レベルの動き、人類の全体の心の奥底の動き(無意識の世界)が全体的には把握できる図解ではないかと思うと興味深かったです。今回も新たな発見や気づきがあり、ありがとうございました。また次回も楽しみにしております
  • 久恒先生、参加されたみなさま、どうもありがとうございました。今回は、「3つの知能」と「仏教の唯識論」について、それぞれ図解を使って説明いただきましたが、そのうちの「仏教の唯識論」について感想を述べたいと思います。提示されたのは手書きの図メモからパワーポイントによる完成図(清書した図解)までの3枚の資料。前五識から第九識までの説明がありましたが、内容が難しくて図メモの段階ではお手上げ状態でした。しかし、完成図を使って説明されたときは、人の「顕在意識と潜在意識」と仏教の唯識の関係性が全体的にどのようになっているかがつかめたので、個別の第六識や第七識などについては理解できなくても、仏教における意識の段階、区分は、意識の持ち方というよりは深さが違うんだというくらいの認識ができました。 脳科学で人間の意識についていろいろ解明されてきていますが、まだまだわからないことがたくさんあります。それを仏教が説いている。宗教は奥深いものだと改めて思いました。また一方、最近、外国の人々が「瞑想」に興味をもち、瞑想する時間を持つ方が増えていると聞きます。もしかしたら「瞑想」を体験することで、この仏教の唯識でいう意識の領域を体験できるのかなと、ふと思いました。私も瞑想を体験しましたが、この領域まで至っておりません。今回学んだことで、「瞑想」への興味がまた湧いてきましたので、チャレンジしたいと思います。
  • 本日もありがとうございました。盛沢山でした!「3つの知能」について、図解で説明いただきましたが、ざっくりと前五識と、六識以降を再確認することができました。さらに、「仏教の唯識という人間観」では、先生の手書きの知識メモ→整理された図→パワポでの清書の図解 という図解する過程も見せていただきました。難しい内容で、一生懸命目で追うので精一杯でした。AIは前五識を担えるのかという話題になり、経験などで自分の苦手とする分野に対して、心から無意識に身体が拒否してしまうようなものは、第六識以降からも前五識に作用しているのではないかと、思ったり、説明することは難しいことだなぁと思いました。「全体知」の図解は、まさに図解の作り方の図となっていて、図解はすなわち全体知を明確に表せるものなのだと思いました。梅棹先生の「諸文明における宗教の層序学」について、今までの復習と、日本や西や東ヨーロッパの純情地帯のお話でした。日本は、入ってきたいろいろな宗教の良いところ、合うところを取り込み、日本風にしていたのだと、改めて思いました。次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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「名言との対話」3月8日。肥沼信次「日本の桜はとても美しく、皆に見せてあげたい」

肥沼 信次(こえぬま のぶつぐ、1908年10月9日 - 1946年3月8日)は、日本医学者 

第二次世界大戦後のドイツで医療活動に尽力し、現地で病没した。ヴリーツェン市名誉市民、医学博士(ベルリン大学)。

八王子出身。東京府立二中(立川高校)を卒業し、日本医科大学から東京帝大放射線研究室へ進む。肥沼はアインシュタンとキュリー夫人を尊敬していた。1937年、国費留学生としてドイツのコッホ研究室、その後ベルリン大学医学部客員研究員。ベルリン大学医学部で東洋人として初の教授資格を取得した。

ソ連軍のベルリン攻撃で陥落寸前に、帰国船にのらず、ポーランド国境近くのエーベルスヴァルデに疎開した。ドイツで研究を続けようとしたのである。戦後ソ連軍が創設しヴリーツェンの伝染病医療センターの初代所長となる。医師一人、看護婦二人で衛生環境も悪く医薬品も不足する中、治療に全力を尽くし献身的な働きをした。自身もチフスで1946年3月8日に死去。享年37。

1960年には赤十字から死亡通知が届いている。ベルリンの壁が崩壊した1989年にヴリーツェンの郷土史家の調査で「戦後の大変な状況の中で、先生に命を救っていただき、感謝の気持ちは忘れません」という住民の証言があり、ドイツでは肥沼博士の調査が始まる。朝日新聞の尋ね人欄に「日本人医師・故コエヌマノブツグをご存じの方はいませんか」という記事がのり身元が判明した。1994年にはヴリーツェン市は名誉市民の称号を贈り、市庁舎前に記念銘板が設置された。ヴリーツェン市には「Dr.コエヌマ通り」がある。

2017年、八王子市長が当市を訪問し友好交流協定を結んだ。日本でも2017年に八王子駅北口から遊歩道を5分ほどの中町公園に「お帰りなさい Dr.肥沼」と書かれた顕彰碑が建てられた。そこは肥沼の実家の近くである。2018年には八王子市市制100周年記念表彰で、特別表彰されている。

「日本の桜はとても美しく、皆に見せてあげたい」と周囲に語っていた肥沼が最後に言い残したのが「日本の桜が見たい」だった。肥沼信の弟の栄治は100本の桜の苗木を贈った。ヴリーツェンの市民グループは顕彰碑目の通りにヤエザクラの桜並木を整備する活動を行っている。肥沼信次の希望をかなえてくれたのである。3月8日の命日にはヴリーツェン市では慰霊祭が営まれている。「ドクター・コエヌマ・ビーチパーク」と命名された運動施設もある。

八王子でも2015年に肥沼博士の功績をたたえる会「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」ができて、講演会、イベントなどを行っている。私も八王子の図書館で、肥沼信次のイベントのパンフをもらったことがある。記念館をつくろうという新聞記事を読んだ記憶がある。

第二次大戦の前後に、ドイツという異郷で人々の命を救う医療活動を行い、人知れず亡くなった、こういう偉い人がいたのである。私の住む八王子が生んだ偉人の尊い事績を語り継いで欲しいものである。日本近代現代の人物の発掘と顕彰と広報が、日本の再生のために必要だと改めて思った。