AI(人工知能)著『AIが書いた AIについての本』ーー格安(880円)・速攻(5日)。

AI著・ジェームス・スキナー監修『AIが書いた AIについての本』(フローラル出版)を読了。

フローラル出版代表の津島栄という編集者は、著者、ライター、イラストレーターなどはすべてAI(人工知能)がやったため、人件費を大幅に抑えることができたと書いている。3月22日刊行のこの本は384頁で本体価格は880円である。そして驚いたことに、完成までに5日もかかっていない。編集者の役割は、質問、催促、不満、書き直しや技術用語を少なくするなどの読者目線での要求をすることだった。

AIの自己認識。

  • 私はまだ意識や自己認識の能力を持っていません。
  • 斬新なアイデアを思いつく能力に欠ける。独創的でユニークなコンセプトを思いつくことはできない。
  • 世界を体験できない。

AIと人間の関係。

  • 人間は創造的に考え、型にはまらない新しいアイデアを思いつくことができる。AIは大量のデータ分析を行い、人間が見逃すかもしないいパターンを見つける。
  • 人間とAIは補完的、相乗的。人間が戦略的洞察、AIが戦術的分析。AIとのコラボが重要。人間は意思決定に集中。
  • AIには想定外の事態に遭遇したときには、人間は監視。法律、規制、道徳の面から確認が必要。
  • 懸念:失業と格差。プライバシーとセキュリティ。世界の30%以上の仕事が危険にさらされる。人間の幸福と人類の生存をおびやかせないような開発が必要。
  • AI時代の成功者:技術。創造性。適応性。問題解決。心の知能指数、コミュニケーション力、リーダーシップ。倫理。継続的な学習。人間中心のアプローチ。こういった教育のシステムが必要。
  • 現在の社会は、こういった事態に対する準備がまったくできていない。

人間は人間らしい仕事に集中していくことになるという未来が開けている。それは超人への道だ。人間が地球を支配した時代である「人新世」が1950年からという説がある。そしてAIの誕生は1950年代だ。

革命の希望と崩壊の危険、どうなっていくのだろうか。

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「名言との対話」6月6日。井上円了「諸学の基礎は哲学にあり」

井上 円了(いのうえ えんりょう 1858年3月18日安政5年2月4日) - 1919年大正8年)6月6日)は、仏教哲学者、教育者。享年61。

新潟県出身。漢籍、洋学、仏教を学んだ後、東京帝大哲学科を卒業。キリスト教を土台とした欧化思想や仏教の僧侶の腐敗に対し、1887年に『仏教活論』などを発表した。この書はキリスト教より仏教が優位にあるとの主張である。俱舎の哲学は唯物論と合致、法相のいう阿頼耶識はカントに通じ、これらを統一したのが天台宗の中道思想であるとし、大乗思想は西洋の最大幸福説と同一であると整理した。明治仏教界に大きな影響を与えた。

1887年、哲学館を創立。これが後の東洋大学となった。東京・中野に哲学堂を建て、釈迦・孔子ソクラテス・カントを四聖としてまつった。

多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、また迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著し、一方で「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。号として、不思議庵、妖怪窟、非僧非俗道人、四聖堂などがある。

 2019年に白山の東洋大学井上円了記念博物館を訪問したことがある。あいにく閉まっていた。井上円了東洋大学創立者だ。キャンパスの建物群の前に塩川正十郎氏の銅像があった。小泉政権で「塩爺」と呼ばれた塩川氏は、この大学の中興の祖らしい。文部大臣を辞した後、東洋大学理事長、総長として、1989年に白山キャンパス再開発事業を決定し、2005年に文系5学部の白山キャンパスを完成させている。

哲学というと難解な近寄りがたい感じがするが、先入観や偏見にとらわれることなく、物事の本質に迫ることであり、また自らの問題として深く考えることだろう。その延長線上に社会の問題・課題に主体的に取り組む行為が出てくる。哲学することなしに、つまり自らの問題として本質に迫ることなしに、学問は成り立たない。だから、諸学の基礎は哲学なのだ。