『川柳まつど』への投句も半年かーー採られた句

今年になって『川柳まつど』に投稿している。私の自宅から会場へは遠いので、投稿だけの会員。3月号から7月号まで、「宿題」(二人選・三句詠)と呼ばれる題が基本4つほど出る。「吐鳳」という柳名でそれに応募してとられた句を並べてみたい。

投句の成績は以下の通り。

3月号:宿題「天使」「どんどん」「デラックス」「出直す」。12句投稿で3句採。

  • 天使:孫娘ちょっとクールで魅力あり  AIは神か悪魔か友達か
  • デラックス:ふさわしい器になって手に栄誉

4月号:宿題「前向き」「満満」「マネー」「守る」。12句投稿4句採。

  • 前向き:深呼吸次の舞台へ新呼吸  暴走と妄想やめて奔走を
  • 満満:人間の生老病死フルコース
  • マネー:経験でなく体験こそが授業料

5月号:宿題「使う」「時時」「トーン」「つれない」。12句投稿5句採。

  • 使う:五十肩昔はたしか四十肩 
  • 時時:冷やメシも喰い方ありと人の言う
  • つれない:成仏を逃した人の未練顔  異次元って最低限のことですか 異次元って最低限のことですか

6月号:「道理」「堂堂」「ドリーム」。9句投稿4句採。「地」1(天地人客佳」)。

  • 道理:死ぬ気でも死んだ人なし元気出せ
  • 堂堂:ペイペイをやっと使えたドーダ感 ふさわしい器になって手に栄誉 

     ふさわしい器になって手に栄誉(「地」器になってにひかれました)

7月号:「羨望」「さばさば」「スタート」「染まる」 12句投稿2句採。「客」1。

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「名言との対話」8月11日。朝河貫一「ゆるむ心をひき直し 吹き入る塵をはらひのけ」「つばさのかぎり翔り往なば」

朝河貫一(あさがかんいち 1873年明治6年12月20日ーー1948年(昭和23年))8月11日)は、政治学者。

福島県二本松藩士の長男として生まれ、福島尋常中学校(福島県安積高校)、東京専門学校(早稲田大学)をともに首席で卒業。「アメリカに留学して世界の幅広い知識を学び、日本文化の文化発信に貢献する」との志を立てて、1896年ダートマス大学に留学した。大隈重信徳富蘇峰勝海舟らが経済的支援を行っている。

1899年、エール大学大学院歴史学科に進学した朝河は「六四五年の改革(大化改新)の研究」で学位を授与される。1900年には「人類史上に「おける日本の相対的な地位を知ったことと、歴史学研究によって日本の報恩しようと決意したこと」と年頭に記している。

1905年のポーツマスで行われた日露講和会議の日本側アドバイザーとして日本の立場を世界の世論に訴え、講和条約の締結に貢献した。1907年にはエール大学講師となり、図書館の東アジアコレクション部長を兼ねる。以後40年間その任にあたる。

1909年には、日本語で書かれた祖国・日本への警告の書『日本の禍機』を出版し、戦争へと突き進む日本外交の背信と愛国教育を批判した。1917年東大史料編纂所に留学。1920年、日本のシベリア出兵を批判。1927年、歴史学助教授。1930年、歴史学準教授。1933年、歴史学研究員(正教授待遇)。1937年、歴史学教授。1939年には「自暴自棄の終幕を演じて、自国を破壊し、他民族を殺す罪人として、遂には恥辱窮まりなき屈服となり、自殺でも試み得るのみでありますまいか」とヒトラーの6年後の自殺を予言している。1941年、日独伊三国同盟の敗北を予言する。日米開戦の直前には「成功の見込みは百万に一つ」と知りつつアメリカ政府の要人に働きかけ、フランクリン・ルーズベルト大統領から昭和天皇への親書を送ることで戦争を回避しようと考え、その草案を書いた。1942年、蔵書5000冊を図書館に寄贈。1948年、死去。享年74。

朝河貫一は透徹した眼力で祖国日本と日本人の国民性と将来をみて、以下の考えを持っていた。遺言として心したい。

・日本人の道義心は仏教の禅宗と奈良朝以後の儒道(儒教道教)にある。

・日本人は善悪共に浅薄の観があるが、浅薄よりも敏感性が豊富であることの現象だ。日本人の特色は妥協にある。

・妥協と迎合。共同体における自己否定の精神。共同体や国家への忠誠心は個人の積極的な信念のうえにきずかれたものではなかったため、愚かな指図や悪い指揮にも簡単にしたがうようになった。

・警察力の充実と上院の堅実について新憲法の浅慮は将来の禍因となるだろう。

朝河は渡米前には「余は実に自己が凡夫なることを自覚するに過去二十三年を費せり」と悟り、友人たちにむけて「精進」という言葉を口にしている。自我意識を克服するには精進によって近づくもんだと考えるようになった。1900年の年頭所感の自戒では「自分の気分を他人におしつける勿れ」「自分の長所を他人にてらうなかれ」「他人が自分をどのように思うとも、気にすることなかれ」と書いた。そして最晩年には「精進」という長歌に残された命を無限の精進に捧げたいとしている。

朝河自身の生涯のテーマは「精進」であった。「ゆるむ心をひき直し 吹き入る塵をはらひのけ」「つばさのかぎり翔り往なば」と精進を重ねた生涯だった。貫一という名前は「論語」の「吾が道、一を以て之を貫く」という言葉からとったものだ。まさに名前の通りの生涯であった。今回読んだ『最後の「日本人」朝河貫一の生涯』(阿部善雄)のタイトルにあるように「最後の日本人」とならないようにするには、やはり日本人の「ココロの革命」が必要だ。 

最後の「日本人」―朝河貫一の生涯 (岩波現代文庫)

最後の「日本人」―朝河貫一の生涯 (岩波現代文庫)

  • 作者:阿部 善雄
  • 発売日: 2004/07/16
  • メディア: 文庫