『名言の暦 明治誕生日編』(上巻・下巻)が完成ーー8年目に入り「代表的日本人」というテーマになってきた。

『名言の暦 明治誕生日編』(上巻・下巻)が完成した。

昨2022年に毎日書いた「名言との対話」をまとめた私家版。明治生まれの人々が対象。上巻は368ページ、下巻は340ページで計708ページになった。

このシリーズは2016年の『偉人の命日366名言集』、2017年『偉人の誕生日366名言集』、2018年『平成時代の366名言集』、そして私家版にした2019年『名言の暦 平成命日編』、2020年『名言の暦 戦後命日編』、2021年『名言の暦 大正から昭和編(誕生日)』に続き、7冊目。今年の2023年の近代命日編が継続したら、3000人に近い日本人(外国人もわずかだが入っている)の生涯と業績と名言を書いたことになる。

タイトルは偉人や名言という言葉になっているが、8年目の今日では、「代表的日本人」というテーマで書いているという意識になってきた。

創業者、経営者、学者、作曲家、作詞家、詩人、小説家、画家、彫刻家、政治家、相撲取り、アスリート、技術者、アナウンサー、著述家、宗教家、歌人俳人、柳人、映画監督、啓蒙家、歴史家、音楽家、外交官、官僚、軍人、柔道家、空手家、歌手、書家、イラストレーター、登山家、俳優、女優、教育家、庭師、医者、評論家、コメディアン、落語家、編集者、料理人、デザイナー、革命家、脚本家、長命者、、、、など近現代を中心にあらゆるジャンルの日本人が並んでいる。

それは命日と誕生日というしばりを設けて人選したために、期せずして各分野の人たちが登場することになったからだ。「代表的日本人」を念頭に続けていこう。

ーーーーーーーーーーーーーー


「名言との対話」8月10日。両國勇治郎「両國という 角力恋して 春残し」

両國 勇治郎 (りょうごく ゆうじろう、 1892年 3月18日 - 1960年 8月10日 )は、 大相撲 の力士。

秋田県大仙市出身。1909年初土俵。新入幕の1914年5月場所で9勝1休でいきなり優勝を果たす。1915年に東関脇に昇進。その後、1921年まで三役から幕内上位に定着し活躍した。1924年引退し年寄り武隈を襲名。

両國勇治郎の四股名の勇治郎は本名。初土俵の1909年は両国国技館が開館した年だったことから「両國」となった。この四股名を見たり聞いたりするたびに両国国技館を思い浮かべる人も多かっただろう。この命名はヒットだ。

小兵、怪力、強い足腰、天才肌の豪快さ。そして均整のとれた筋肉質のみごとな体であり、また色白で男前だったため、両國は人気があった。

相撲取りの人気は、強さが中心だろうが、女性には美男であること、均整のとれた体格であること、しぐさの可愛さなども大きな要素だろう。現役力士では、跳猿や遠藤などの人気をみてもわかる。

私の記憶にある力士では、増位山、北天佑若嶋津などが思い浮かぶ。大鵬貴乃花などは強さと外見の両方がそろっていたために万人に愛されたということだろう。

戦前に活躍した小説家に田村俊子がいる。奔放な俊子は小説も書いたが、女優の経験もある美人だった。『炮烙(ほうらく)の刑』(本人と二人の男性との三角関係を描いた)、『山道』(佐多稲子の夫の窪川鶴次郎との情事を描いた)など、官能的な退廃美の世界を描き人気があった。その俊子は台東区蔵前生まれで相撲にもなじみがあった。この人が両國に惚れこんでおり、「両國を 思えばうつら うつらかな」、そして「両國という角力恋して春残し」という句を詠んでいる。「角力」は「すもう」と読む。昭和初期までは「角力」、戦後は「相撲」という字を使ったという。

田村俊子の生涯や作風が念頭にあると、この句の最後の「春残し」が効いている感じがする。