「9・11」の日ーー2001年から20年以上たった。あれから世界が一変した。

9・11」の日。あれは2001年だった。仙台の借家で息子とアメリカから流れて来る同時テロの映像を見ながら興奮していた場面をくっきりとした姿で思い出す、もう20年以上前のことだ。あれから世界はすっかり変わった。

このブログは2004年の9月28日から始めたので、残念ながら当日の記録と感想は残っていない。2006年10月14日のブログに記述があった。

映画「ワールド・トレード・センター」(オリバー・ストン監督)を見た感想だ。

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「土曜日の夜は、久しぶりに映画を観た。2001年9月11日の悲劇から5年が経った。ニューヨークの象徴でもあったこのツインタワーの北棟がアメリカン航空、南棟がユナイテッド航空のハイジャックされた旅客機に激突され炎上し、崩壊したシーンはいまだに脳裏にくっきりと残っている。

2749名が死亡。その国籍は87に及ぶ。343名は消防士。港湾職員の犠牲者は84名、うち37名は警察官。ニューヨーク市警察の警官は23名。救出された者は20名だった。

この作品は、1986年の「プラトーン」や1989年の「7月4日に生れて」などの作品(これらの戦争映画は観たことがある)を手がけたオリバー・ストーン監督の作品である。この監督は1967年から68年にかけてベトナムで米国陸軍歩兵連隊の兵士として2度の負傷を受けブロンズスター勲章を受勲、帰還後ニューヨーク大学フィルム・スクールで映画制作を学んでいる。その後の毎年あるいは数年おきの映画作品のリストをみると、ベトナム戦争体験が色濃く反映していると感じる。

その監督が世界を震撼させた同時多発テロを手がけたが、事件全体を描かずに救出にあたり生き埋めになった港湾警察官の家族愛に焦点を絞った。テロに対する怒りや政治的意図はなく、ひたすら生き埋めという過酷な状況で生き延びる二人の姿と救出劇、そして家族の様子を克明に描いた。この作品には実際に救助に携わった人たちも多数出演している。

映画そのものは、2人の男のパーソナルな面から「9・11」を描いている。事態がどうすすんだのかを詳細に追い、ジョン・マクローリンとウイル・ヒメノのやりとりと生還、家族とのつながりを描いたシンプルな作品である。「あの日、人種を超えてアメリカが一つになり、世界が支えてくれたということを忘れてはいけない」というオリバー・ストーン監督の言葉が、この映画の使命と言えるだろうか。

主演のニコエラス・ケイジは、生き埋めになってからは顔の表情だけで苦痛や絶望や希望を演技をしている。「俳優としての才能が、何か人々に癒しを与えられないかと考えていた」ので、この作品をすぐに引き受けている。

もう一人のマイケル・ペーニャは、「粉や遺物が目に入ったりして多くのスタッグが体調を崩しました。僕は横たわっていて、顔中にさまざまな物が付着しています。石の破片が目や鼻、口に入っているんです」「あの時、慰めや癒しを求めていた気持ちが役作りでウイルと話している時に甦ったのです」とインタビューで述べている。

「信じるもののために全力を尽くす」人々を描き続けたオリバー・ストーン監督は、特撮や最新技術を駆使した今までのアプローチとは違う作風を追求している。
ITとグローバル経済に酔うアメリカに一撃を与えた事件を描く中で、職業に対する深い敬意と家族の絆の大切さをアメリカ国民に呼び起こす作品だと感じた。

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9月11日をキーワドに、このブログの「名言との対話」で取り上げた人物。

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水曜日の「幸福塾」の準備。「晩成力」というキーワードで人選。今回は「現役」を中心に選んだ。

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「名言との対話」9月11日。末弘厳太郎「良き練習は良きコーチによってのみ行なわれ得る。しかしコーチにのみに頼って自ら工夫することなき選手は上達しない」

末弘 厳太郎(すえひろ いずたろう、1888年明治21年)11月30日 - 1951年昭和26年)9月11日)は、大正昭和期の日本法学者

山口県出身。父は大審院判事。開成中学、一高を経て、東京帝大法科卒業時には優等で銀時計を授与された。大学院にすすみ、卒業後ただちに助教授。アメリカ留学後、帰国し1921年に教授。1942年から3年間、法学部長をつとめた。東京帝大辞職後にGHQから追放を受けた。その後、労働三法の制定に関与、また中央労働委員会の会長に就任した。

末弘源太郎は日本水泳連盟の会長、大日本体育協会理事長、大日本体育会理事長をつとめている。賞詞は、没後に勲一等瑞宝章を受章している。

まるで絵に描いたような申し分のない経歴であるから、取り上げるのに躊躇したが、水泳選手のための「練習十則」を読んで、この人物の人間味に興味を持った。

水泳選手とコーチのために「練習十則」をつくっていることに驚いた。そしてそれが実によくできているのだ。以下、記す。

  • 第一則 先ず正しいトレーニングによって体を作れ。体を作ることを忘れて、いたずらに技巧の習得に努めても決してタイムは上がらない。
  • 第二則 体と泳ぎを作ることを目的とする基礎学習と、レース前の調子を作ることを目的とする練習とを混同してはならぬ。レース前になって、むやみにタイムばかりを取るような練習は、最も悪い練習である。肉体的にも、精神的にもいたずらに精力を消耗するだけのことである。
  • 第三則 むやみに力泳するよりは、水に乗る調子を体得する事が何よりも大切である。
  • 第四則 スタートとターニングとの練習は、泳ぎそのものの練習よりも大切だと思わなければならぬ。
  • 第五則 一つ一つのストロークを失敗しないように泳ぐことが、最も良いタイムを得る方法である。
  • 第六則 レース前の練習に当っては毎夕毎晩、体重を測れ。もしも朝の計量において体重の回復が十分でないことを発見したならば練習の分量を減らさなければならない。
  • 第七則 スランプは精神よりはむしろ体力の欠陥に原因していると思わねばならぬ。いたずらにあせるより、思い切って二三日練習を休む方がよろしい。
  • 第八則 レース間際に体を休ませるつもりで力泳を控えることは非常に危険である。体を休ませるために、練習分量を減らしたければ、力泳をせしめつつ、その分量を減らすようにせねばならぬ。休ませるつもりでフラフラ泳がせると調子がくずれてしまう。
  • 第九則 あがる癖のある選手にいくら精神訓話を与えても、何もならない。いかなる場合にも体を柔くして、水に乗って泳げるように徹底的に練習させ、癖づけてしまうことが何より大切である。
  • 第十則 良き練習は良きコーチによってのみ行なわれ得る。しかしコーチにのみに頼って自ら工夫することなき選手は上達しない。 

まず、水泳のための体力づくりと基礎学習を大事にする。タイムをあげるには、スタートとターンの練習、そして一つ一つのストロークを大事にすること。スランプは精神の問題ではなく、体力の問題。よきコーチと、それ以上に大切なのは、選手自身が自分で工夫を重ねることだ。

まとめるとこういうことになる。末弘の十則は、精神論、根性論に陥りがちなスポーツの世界に、合理的な考えを持ち込んだように感じる。水泳だけでなく、陸上、球技、格闘技などスポーツ全般に通じるだろう。今なお褪せていない。

末弘厳太郎は、民法学に判例こそが法律であるとの主張で大転回を主導した。そして日本初の労働法の講義を行った。また法社会学の基礎を築いた。こういった大学者が、水泳の練習法を定めたのである。この人は何事も、通説を信用することなく、ラジカルに、抜本的に考え直したのである。『嘘の効用』を改題し、非専門性、形式的理屈、縄張り根性という問題点を指摘した『役人三則』も読んでみたいものだ。