鎌倉「建長寺」。養老先生の「虫塚」。「戦国の三英傑」。ズーム読書会。

今日は鎌倉に妻と出かけ、息子夫婦と孫と会いました。


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臨済宗五山第一の「建長寺」。臨済宗建長寺派大本山。開山は蘭渓道隆(大覚禅師。1213-1278)。開基は執権の北条時頼(1227-1263)。時頼は元寇を防いだ義時の息子で御成敗式目をつくった、泰時の孫にあたる。

「三門」と呼ばれるところで休むことができる。心地よい風が吹き渡って幸せな気分になるから、いつも誰かがすわって気持ちいい顔をしている。この寺の威風堂々の顔だ。

「虫塚」。虫の標本を愛でる養老孟司先生たちと、建築家の隈研吾がつくった。建長寺内にある。「近代文明はおぼただしい数の虫を殺してきました。それは今でも続いています。それい気付いている、ということを銘記しようと、虫塚を建立しました。塚にしたのは、すべてを言葉にすることはできないからです。 養老孟司 養老朝枝 隈研吾 挟上秀平」


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昼食「点心亭」の「けんちん汁」。この料理は建長汁から来ているという説がある。建長寺の精進料理のすまし汁か。


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達磨大師像。禅宗の祖師ともいわれる。壁に向かって9年座禅を続けたため9に手足が腐った。このため手足がない姿になっている。

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往復とも電車で座ることができたので、戦国の三英傑に関する資料を読み込むことができた。織田信長豊臣秀吉徳川家康

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夜は深呼吸学部主宰のズーム読書会に参加。安川新一郎『ブレイン・ワークアウト』(KADOKAWA)。著者本人と編集者も参加する読書会。北海道、岡山からの参加も。

私は、「本をダシにして自分の考えを確認するという読み方」でコメントをしてみた。ーー教養。脳の可塑性。実務家と独学の時代。人・旅・本という体験。図読。京大カード。創造は組み合わせ。生成AIで個人が部下とコンサルを持つ時代。志の復権。、、、。安川新一郎『ブレイン・ワークアウト』(KADOKAWA)ーーブレイン・アスリート宣言 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」 (hatenablog.com)

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「名言との対話」9月10日。桐生悠々「戦争の為に、百億の予算を組む国家と、教育のために百億の予算を組む国家と、いずれが将来性あるあるかは問わずして明である」

桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年明治6年〉5月20日 - 1941年昭和16年〉9月10日)は、ジャーナリスト評論家

石川県出身。四高で同級の徳田秋声親交を深め、ともに小説家を志望し上京するが果たせずに帰郷。東京帝大法科を出て、官吏、保険、出版を経て、下野新聞主筆。大阪毎日新聞大阪朝日新聞、東京朝日新聞信濃毎日新聞主筆、新愛知新聞主筆信濃毎日新聞新聞主筆軍国主義批判の一貫した言論で退任した後は、名古屋読書会の「他山の石」という会誌でのコラム「緩急車」で主張を継続した。

太平洋戦争に向かう戦争予算の増大に歯止めをかけようとした反骨のジャーナリスト・桐生悠々。その名前は学生の頃に、父との会話の中で耳にしたことがある。

明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論、ファシズ批判をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤ふ」(1933年8月11日)は、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。

「原因から、結果に至るまでの順序を知らなければ、依然として無知である」との言葉もいい。以下、桐生悠々の言葉。

  • 言論は言論を以って正すべきである。「権力的に」これを統制しては、人を以って言わしむる天の声は、おのずから為政者の耳には入らない。
  • 狡猾なる政治家は、群集心理を利用して、自家の利益に資する。国民は心して、そうも容易におどろかされてはいけない。
  • 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。
  • 人は誰でも、一国家、一民族の構成員である限り、彼の心理作用は、その従属国家または民族の伝統によって左右されます。だが、この伝統は、ややもすれば往々にして、また、ほとんど常に、世界の平和、人類の幸福を阻止し破壊すらもした。私たちはこの一大弊害に顧みて、なるべく超国家的、超民族的でありたいと思います。そして世界の平和、人類の幸福に貢献したいと思います。
  • 言いたい事と、言わなければならない事とは厳に区別すべきである。
  • 近代的体制において、「平和か」「戦争か」を決定するものは、戦時に総動員を必要とする国民であらねばならない。政府を作るものは国民であって、政府が国民を作るものではないからである。
  • 人間は他の動物なみに概して、安心せしめられるよりも、おどかされやすい動物である。特に群集心理が手伝った場合には、常軌を逸して、狂態をすら演ずる。
    私は言いたいことを言っているのではない。徒に言いたいことを言って、快を貪っているのではない。言わねばならないことを、国民として、特に、この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。

「戦争の為に、百億の予算を組む国家と、教育のために百億の予算を組む国家と、いずれが将来性あるあるかは問わずして明である」は、不変の真理だ。戦争と教育の軽重について、この言葉ほど刺さる言葉はない。人を殺す予算か、人をい生かす予算か。国家百年を睨んで、広い意味での教育に力を注ぐべきである。

桐生悠々は開戦の3カ月前に死去するが、病気に触れて「小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候も、ただ小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候」と書いている。そのとおりになったではないか。