たかが手帳と言う勿れ

ビジネスマンなら誰でも手帳は持っているだろう。秋になると各種各様の手帳が売り出され、店頭が賑やかになるのは毎年のことだ。「手帳」という名称は、手に入る小型の帳面という意味でつけられている。手帳という名前は、モノの持つ意義や意味を語っているわけではなく、単なる形を述べているわけだ。私も若い頃から手帳には凝ってきた。手帳業界に君臨し続ける能率手帳、そして一世を風靡したシステム手帳など、過去に使ったあらゆる手帳が書斎には揃っている。


手帳には何が書いてあるか。まず、電話番号簿や住所録があるが、こういう呼び方では本質を表ないと思う。それは自分の持つ人的資源のリストである。

小遣いの収支を記す欄もあるだろうが、これは金銭出納簿などではない。可処分所得の使い方を記した貴重な資料であると考えたい。

また、手帳の最大の用途はスケジュール表だろう。スケジュール表とは何か。限られた貴重な資源である時間、特に可処分時間の使い方に関する予算書であり、その結果を示す決算書なのである。

その他、家族の誕生日、ゴルフにかかわる格言、新聞記事の切り抜きなど、様々の自分にとっての大事な情報が含まれているはずだ。これらは、生活充実のための情報資源である。


こう考えてくるとこれはもはや手帳ではないことは明らかだろう。手帳とは、ヒト・モノ・カネ・時間・情報といった人生の限られた経営資源を最適に組み合わせて最高のレベルの生活を実現するための貴重な道具なのだ。会社の経営と人生の経営とはなんら変わるところはない。私たちはこの道具を使いこなしながら、仕事を含む人生全体をマネジメントしていかねばならない。だから手帳には人生が入っていると言っても過言ではない。


「たかが手帳」ではない。以上述べてきたような考え方と具体的な技術を身につけて手帳と対峙することは、極めて大切なことである。リーダーは、組織や集団をマネジメントすることが仕事であるが、自分自身をマネジメントする力がなければそのような仕事を全うすることは期待できない。手帳という戦略的ツールを活用して自らの人生や生活を戦略的にマネジメントしようとする気概と日常的な訓練が、リーダーとしての素養を育むと言ってもよいだろう。


                        (月刊「ビジネスデータ」10月号執筆原稿)