昭和天皇、山本五十六、渋沢、鴎外、大観、会津八一。誰が人気か?

k-hisatune2008-10-08

講義二つ、ゼミ一つ。この合間に出版社の来訪が二件。
今日のメインの講義「マネジメント2」は、昭和天皇山本五十六渋沢栄一森鴎外をテーマに、彼らの人生の全貌と師匠との関係を語ってみた。前回の講義では横山大観岡倉天心の弟子と師匠との関係、会津八一と坪内逍遥と弟子と師匠との関係を語った。この二回の講義の中でそれぞれがもっとも関心を持った人物とその理由をアンケートに書いてもらった。100枚ほどのアンケートを以下にまとめた。

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1:森鴎外:「誰も褒めてくれなかった」という孤独感に共鳴した。・昭和天皇:「軍部の報告に信頼がおけずアメリカの短波放送を聞いていた」ことに衝撃。天皇の人がらを深く調べたい。・横山大観:面白い人。会津八一:「秋草堂学規」がとても学べる。・森鴎外:小説家と軍医というまったく異なる職業を両方ともエリートとして歩み続けたのはすごい。・森鴎外:細菌学や文学に関心があり、外国語に堪能。

2:童門冬二:小学校の先生との出会いによって一生の仕事(歴史小説)まできまってしまうことに驚いた、自分もそのような出会いができるようにいろいろなことに真剣に取り組みたい。・森鴎外:人間性と人生の波乱に関心。昭和天皇の器の大きさを感じた。明治天皇の記念館が近いので訪問する。・森鴎外:医学、文学、考古学にまで精通しているのに感心。興味をもたtので本を読みたい。・渋沢栄一:江戸から昭和を生きた人だが徳川慶喜につかえていたことに驚きを感じました。人がら。・会津八一:多彩な才能。・昭和天皇:激動の人生。摂政になった20歳から87歳までよく頑張って働いたなあ。この人が天皇じゃなかったら今の日本はない。・森鴎外:「舞姫」を読んだ。・渋沢栄一:日本の資本主義をつくった功績はすばらしい。実力と、それ以上に人のよさも大きく影響。・森鴎外森鴎外:深いところで触れてみたい。

3:森鴎外:筆名を鴎外とつけたことに興味、人としてのあり方を示しているのは素晴らしい。森鴎外:すごい人物だ。・渋沢栄一:福祉の篤志家として知っていたが銀行、ビールなど多くの会社の設立に携わっていることを知り能力の高さや人柄の良さがわかった。幼少時代に関心がある。両親の教育方針や家庭環境など深く学んでみたい。・森鴎外:二つの分野のプロフェッショナルとして生きたことに感銘をうけた。高い志と不屈の精神。志の高さによって行動が変化し人格が変わり、そして人生が変化していく良い例。の鷗外の一日24時間のタイムマネジメントに関心がある。成長のヒントが必ず隠れていると思う。・森鴎外:「舞姫」を高校時代に読んだ。文人としても軍人としても鴎外の生涯への関心は尽きない。・渋沢栄一:今でも数多く残る有名な会社をこの人物がつくったことに驚きました。一つの分野で成功するにも一生を費やす人が多いのに。この功績は渋沢の人柄があったからだろう。現代に生きていたらどういうことおwしたか興味深い。このような人物をについて知らなかったことはもたちない。もっと多くの偉人について知りたい。森鴎外渋沢栄一。・昭和天皇森鴎外。・昭和天皇:誠実な心。山本五十六

4:森鴎外:名前は知っていたがこの講義を機に調べてみたら、多くの知らないことを発見した。・森鴎外:母校の先輩。ドイツの森鴎外記念館を訪問したことがある。鷗外の人生について聞いているうちにしかkりした人ですばらしいと感じた。・森鴎外:「まんじゅう茶漬けが好き」ということしかしらなかったが、軍医と歴史・文学者という二足のわらじを履いていたことを知り興味を持った。「あれもしたい」「これもしたい」という欲望を遂げてしまう行動力・忍耐力に感銘を受けた。・渋沢栄一:実業家としてこれほどたくさんの会社に関わったのは珍しい。日本経済に大きく貢献した人物。もっと詳しく知りたい。・渋沢栄一:仕事の忙しさが伝わってきた。こういう大人になりたい。・渋沢栄一

5:昭和天皇:自分とあまり変わらない年に摂政についたとは、鳥の目を持っていた人だと思う。公務と私事(生物学研究)をしっかり分けて過ごして両立していることに凄さを感じた。・横山大観:李仁には必ず師匠がいる。「偉大な人が出た時に初めて偉大なる芸術ができる」という言葉が印象に残った。昭和天皇:私の地元の八王子に昭和天皇のお墓がある。20世紀に激動の人生を歩んだところに関心を持った。・森鴎外:陸軍軍医としてもかなりの実力があったことに素晴らしさを感じた。何か一つのことを極める生き方もすごいが、自分がやりたいことが複数あったとしてもどれか一つを選ぼうとしなくてもいいんだということを学んだ。・渋沢栄一:想像できないような数多くの活動と、同じ埼玉県出身というところに興味。社会活動に熱心であり養育院院長、日本赤十字社の設立、聖路加国際病院初代理事長など、現在に通じる社会貢献を行ったことに感銘を受けた。経営者として500社以上の会社の設立にかかわっているのにも関心。・森鴎外:一流大学の医学部を卒業し軍医として勤務していたなんてすごいなあ。・森鴎外:「舞姫」と「高瀬舟」を読んだ。作家としてしか知らなかったが、軍医としての姿にも興味を持った。本職を全うするかたわらで、あのような優れた作品を書いていたことは素晴らしい。それを「誰も褒めてくれなかった」と感じていたのは信じられません。・森鴎外:素晴らしい。・森鴎外:専業作家ではなく軍医と作家の兼業で、作品を書く時間が少なかったはずなのに、こつこつと努力を重ねていく行動力に感心した。有意義を事をして過ごしたいという意志が感じられ、自分もそのような人生を送りたいものだと思った。・森鴎外:19歳で東大医学部を卒業している。自分と同じ年なので驚きました。「生きている限り考える作用を続けるに違いない」という言葉は心に沁みた。私は生きている限りはh知り続けたい。忙しく充実した毎日を送りたいのでとても勇気づけられました。・森鴎外:より深くしりたい。・渋沢栄一経営学を学ぶものとして500社以上の会社の設立に関わったことに興味。・森鴎外:軍医でありながら小説を書いていたことに強く共感した。私は学業とともに余暇に絵を描いて過ごしています。私には鴎外の気持がわかる気がしています。・渋沢栄一:多くの時間をつぎ込める信念のあることを見つけたい。日本全体を組織としての観点から見据えていたのは素晴らしい。・渋沢栄一:人柄と手腕。・森鴎外:エリート。・会津八一:あらゆる分野でプロであったから。森鴎外:「出処進退」という言葉に感銘。多忙な生活。記念館を訪ねるなどしてもっと知りたい。

6:渋沢栄一:「私利を追わず公益を図る」との考えを生涯にわたって貫き通して「渋沢財閥」をつくらなかったことに感心した。渋沢同族株式会社を設立して死後の財産争いを防止したことにも感心した。・森鴎外:小説家として有名な鴎外が軍医として活躍しちたことに驚きました。・森鴎外:「高瀬舟」を読んだが、感受性の高さがわかった。・昭和天皇:ラジオや新聞でニセ記事や情報がある中で真実がどこにあるかを追及しようとした。終戦時には自分よりも民衆が心配という歌を詠んでいる。尊敬の念を覚える。・横山大観:19歳で進む道を決め、一つのことをやり通した。私は仕事でも勉学でも結構凝り性だが、一つのことを突き詰めることがなかなかできなかった。「不二」という美しい絵を描き続けられたのはなぜか。そこに関心を惹かれた。・森鴎外:自分の考えを貫いたことろ。・

7:横山大観:絵の才能以上に人を引き付ける人物である。終りがなく、深く深く世界を広げていると感じる。自分も常に成長できる人間になりたい。・渋沢栄一:人から慕われる人格がうらやましい。・昭和天皇森鴎外:努力して作家として、軍医として生きた鷗外は素晴らしい。・昭和天皇:生物学研究者としても業績をあげたこと。私も他の人に影響力があるような人になりたい。・森鴎外会津八一:「日々、新面目あるべし」が気に入りました。

8:渋沢栄一:これだけ多くの会社を設立しているのはすごい。・渋沢栄一:高校の時に習ったは、今回はじめて人格をしった。

9:渋沢栄一:商法会所や大学など大きなことをした。・岡倉天心:茨木県の美術館に行ってみたい。・渋沢栄一:「人がやらないことをやる」というところに興味。政治には関わらなかったということだが、政治をやっていてお成功しただろう。偉人には素晴らしい師がいるが、一番最初の師は誰だろう。・森鴎外:生き様。著名な人物でありながら庶民のような一面を持っているのは心温まる。別格の人物。・森鴎外:軍医として誤まち(日露戦争時の脚足の原因が細菌であると唱えた)は信念と考えたい。

不明:森鴎外昭和天皇渋沢栄一渋沢栄一渋沢栄一渋沢栄一渋沢栄一:いつか会社を起こす時に参考にしたい。・昭和天皇山本五十六

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