「35歳で25勝」--ゴルフの片山晋呉プロの10年前のノートの言葉

宮城大学での卒業論文指導があり、日帰りで仙台を往復してきた。
駅前は、パルコができ、エスパル?がウイングを広げていた。また大学近くの仙台ロイヤルパークホテルの近くにできた三菱のアウトレットは、若い男女を中心ににぎわっていた。交通量も多い。思ったより寒くなかった。

往復の途中は、iフォンでベートーベンのピアノやモーツアルトをずっと聴きながら、新聞、雑誌、本を読んだ。
日経新聞には、「地域貢献、公立大が存在感」という大学の地位貢献ランキングの記事が出ており、「09年度からの独立行政法人化が決まっている宮城県立の宮城大は、教員の年俸にも研究、教育、地域貢献などの実績を反映させるという。」というコメントがあった。馬渡学長の推進する改革も進んでいる。
また、「週刊ダイヤモンド」の「役に立つ大学ランキング」では、就職率で北海道・東北地区で宮城大は2位に「ランキングされていた。どちらも嬉しい記事だ。

さて、朝日新聞の先週のゴルフの結果の記事がなかなか楽しめた。
メジャー大会の「日本オープン」で、片山晋呉(35歳)が25勝目をあげ、中嶋常幸尾崎将司、倉本昌弘、青木功尾崎直道杉原輝雄に続き、史上7人目の永久シード権を獲得した。獲得年を見ると97年の尾崎直道が最後だから、ここ10年で初めての快挙となる。獲得した年齢をみると30代が多いが、杉原は52歳で獲っている。これも素晴らしい。

「前週、自宅の引き出しに眠っていた古びたノートを引っ張り出した。まだ1勝もしていなかった当時の自分は「35歳で25勝する」と書いていた。それから10年。独自の練習器具を考案するアイデアマンとなり、試合会場でも最後まで居残り練習する姿はツアーで知らぬ者はない。
「僕の体は平均的な日本人。それで、どうすればゴルフがうまくなるかというテーマしか僕の思考回路にはない」と言い切る。」

なるほど、畑中謙一郎記者のこの記事は考えさせられる。片山は自身のゴルフ人生を最初から描いていたのだ。毎週のツアーをこなして実績を積み上げ、気がついたら25勝をあげていた、というのとは違う。それが常に頭にあるから、いろいろな工夫をし、鍛錬を自らに課す、という日常生活になる。
「僕の体は平均的な日本人」という言葉は、「僕の頭は平均的な日本人」と体と頭を入れ替えて、「ゴルフ」を仕事に置き換えると若いビジネスマンに貴重なアドバイスとなる。

片山はゴルフ人生という長いスパンの中で到達目標を頭に描きそれをノートに書きだして、その上で毎週のツアーに挑戦し、毎日の練習をこなすということをやってきたというわけだ。こういう到達目標は、事前に明らかにするというわけにはいかないから、達成した今、天下に公表するということだろう。片山の25歳から35歳までの過ごし方には、成功する人の普遍性が備わっている。
次の目標を聞かれて「名前が晋呉」だから、次の目標は45勝かな」と答えているが、すでにその道も片山の視界に入っているだろう。こういう人はさらに伸びる。

16歳の石川遼は難コースにひるまずドライバーを握って、片山に次ぐ2位に入った。「優勝は明らかに遠い、、、、」「運もついてきて、、、」とインタビューで答えている。プロで初めての1勝をあげるとき、どのようなコメントをするか楽しみだ。遼君には、この片山晋呉の心構えを参考にして、名前のとおりはるか(遼)遠くを見つめて、毎週のツアーに挑戦して欲しいものだ。

女子ゴルフの「富士通レディース」は、不動裕理が7打差をひっくり返してプレーオフで優勝し、ツアー46勝を挙げた。2000年から2006年まで賞金女王を連続して獲ってきたまさに「不動」の女王である。不動は1976年生まれだから32歳。まだまだ記録は伸びるだろうが、男子の片山が目標と挙げた45勝を今回の勝ちで抜いてしまった。「相手のことや差、よけいなことを考えず、自分のスコアだけを考えた」というコメントをしていてこれも心に響く。不動は地味な選手だが、この人の心構えも聞いてみたいものだ。