同級生から「遅咲き偉人伝」の感想が届く

高校時代の同級生の松尾俊作君から、以下の拙著「遅咲き偉人伝」の感想が送られてきた。真面目に読んでくれたようで嬉しい限りだ。

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久しぶりに神田駅に降りた。小川君が亡くなって以来だから10数年になるか。集合場所の「洞門」も当時の場所から変わったらしい。場所をあらかじめ聞いて地図を見ながら探したが見つからない。幹事の松田君へ電話を入れ迎えに来てもらった。
新しい「洞門」は前よりこじんまりし若者向けになったような気がする。私と松田君が先着である。ビールを頼むと程なく田渋君が来た。そして山本、千釣君と続き最後が久恒君であつた。1年前に別府で同窓会があり、その際に会ったのは久恒君と田渋君で、松田、千釣、山本君は10数年ぶりか。それぞれが相応の年をとり、それなりの人生を持っている。
ビールや焼酎を飲みながら高校、大学時代を懐古する。時はあっと言う間に過ぎ解散の時が来た:また会うことを約束して別れの言葉を交わす。
久恒君が帰りふみ本をくれた。「遅咲き偉人伝」人生後半に輝いた日本人をとりあげている本らしい。平成15年から全国の「人物記念館」を巡り、すでに400館を回ったとのこと。ライフワークになっているとのこと。その「人物記念館」巡りをしていて得た結論から本書を書いた。彼の本は最近では「図解で身につくドラッカーの理論」を読んだ。彼は大学教授をしているが、ビジネスマン出身らしいものの発想で活躍している。
この本の題名から、今までの彼の行動活動理念と違う風に感じた。私の思い込みであるが、彼が「志」とか「近代日本の偉人の生き方紹介」で今の若者に授業を展開しているとは考えもしなかった。嬉しいことである。
私は、市井に彼ほどの実績と行動力や伝播力、影響力はないが、ある大学の教授と20年ほど前に知己となって以来、教授から薫陶され「保守」の復活と道徳教育こそが「日本国の根幹」なりと思うようになり、その人を介して様々な人達と交流をして来た。久恒君とは高校卒業以来、生き方や志などについて話ししたこともなかったが、ビジネスマンから教育界へ転進したので効率やアメリカ的ビジネスを推進しているものだと勝手に思い込んでいた。したがって、その彼が「志」「人物伝」を大学教育で展開しているとは驚きであった。早速読ませてもらった。世代はバラバラであるが興味ある人物が紹介されている。
例えば、新田次郎。役人と作家、二つの道を歩みながら優れた小説家として大成した仕事師。と紹介しているが、新田次郎の息子さん(次男)の藤原正彦氏。実は藤原氏には私の甥が九大の理学部数学科で、甥の将来のことを含めて藤原氏に相談をさせて頂いた。この新田次郎編を読み、身近に感じ、そして藤原先生のご尊父の偉業がよくわかった。わたしは中学生時代だったか、新田次郎作、本の題名は覚えていないが、富士山測候所のことを書いた本が忘れられない。
例えば、徳富蘇峰同志社大学を卒業したが、大学の創設者「新島襄」に影響を与えた一人物というくらいは知って与\たが、この本で吉野作造横井小楠との繋がりなど知らないことを教えてもらった。
この本は、浅くではあるが日本人に影響を与えた人物を履歴書風に纏め上げており、「この人を深く知りたいな」と思うときに参考になる人物事典のようなものだろう。若い人だけでなく、我々アラ還にとっても中学や高校時代に習った人物をあらためて見てみようと思うとき、違った角度から眺められるきっかけづくりになる本であろう。
400館も巡っているのだから「続遅咲き偉人伝」がでるだろう。そして第3弾第4弾とシリーズものになるかもしれない。そのときはまた手にとってみたい。次はどんな偉人達が紹介されるか楽しみだ。

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このところずっと読み続けてきた伝記「徳富蘇峰」(早川喜代次)を読了した。この書は、蘇峰の書生をしていた早川氏が書き綴った697ページンの大著で、「文章報国」を奉じた文豪・徳富蘇峰の人生の変転がよくわかる優れた伝記である。この早川氏には、会津若松の白虎隊記念館を訪問した時に偶然館内を案内していただいたことがある。そのとき、この大著をもらった。会津若松市長を退任してから、ここの館長をしているということだった。