人生は、、。ただ不愉快に服役すると欣然として服役する、(蘇峰)

明日、徳富蘇峰について雑誌の取材を受ける。そのためのメモ。

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徳富蘇峰との出会い

  • 兄蘇峰は大森の蘇峰公園・弟蘆花は世田谷の芦花公園。兄弟で公園と記念館。
  • 熊本の大江塾の後に立つ徳富記念館。男前の若い蘇峰
  • 阿蘇の外輪山。8000メートル級。
  • 横井小楠記念館。小楠の弟子が勝海舟。父が小楠の門に入る。小楠の夫人(横井おば)は父の妹。
  • 全国の記念館で蘇峰の存在を感じる。清河八郎(荘内・回天 維新 偉業 之魁)・島木赤彦(諏訪・手紙のやりとり)・白虎隊記念館(会津若松・早川喜代次・蘇峰の法律顧問・弁護士、、  )

徳富蘇峰の人物

  • 94年の歩み。功績。逆境、試練。

「維新前に於いては尊皇攘夷たり、維新後に於いては自由民権たり、而して今後においては国民的膨張たり」(日本国民の活題目)。三国干渉によって力を奉ず。「角なき牛、爪なき鷹、嘴なき鶴、掌なく熊」。時事に即して歴史的見地からの対策を構想し続けた人。
1887年民友社を結成、雑誌「国民の友」、「国民新聞」を創刊し、自由主義の推進と華麗な文体で青年層の共感を得る。しかし日清戦争後の三国干渉によって激怒し国権主義的傾向を強めていく。戦争中は大日本言論報告会会長。終戦後戦犯容疑をかけられるが熱海に蟄居。

  • 周囲や後世へに影響

偉さ=影響力(広さX深さX長さ)・筆力と舌力。講演テーマと人数。手紙魔・記録魔・揮毫・蘇峰会。記念館は最多の5つ(熊本・水俣・大森・二宮・山中湖)・生誕記念館は二つ(熊本県益城町水俣市)。

  • 魅力

筆力(文章)と舌力(講演)。静子夫人を伴う・女に堅い。親孝行(きすい文庫)。弟思い(蘆花5つ違い・人間は書物のみでは悪魔に・労働ののみでは獣になる・58歳)。宮崎滔天「余は実に蘇峰先生の門弟子となりたるなり、、徳富先生と呼ばずして猪一郎さんといえり、}水俣図書は印税の前借・文章報国。人物胆(青淵渋沢栄一=豊裕なる常識持ち主。福沢諭吉=時として一個の福沢諭吉帝国議会よりも大いなる勢力を有した。大倉喜八郎=彼は無鉄砲で放胆で、一度やろうということは、必ずやりつける男である。宮崎八郎=天成のジャーナリストであり、熊本における民権論の、唯一のと言わなければ第一の急先鋒。
広い交友(晶子・鳩山一郎緒方竹虎・佐々木信綱・橋本関雪尾崎行雄加藤高明・茂吉・土屋文明賀川豊彦などの名まえと手紙)
与謝野晶子の古希の祝歌「わが国のいにしへを説き七十路す未来のために百歳もせよ」「高山のあそは燃ゆれど白雪を置くかしこさよ先生の髪」

●「近世日本国民史」
55歳から89歳の34年間。最も多作な作家(ギネスブック)。織田から明治(自分の生きた)まで100館。42468ページ、総文字数19452952、原稿用紙17万枚。10万冊のきすい文庫。壮年に立てた修士の志・講演旅行と史料蒐集・明治の元勲らに直接インタビュー(板垣・山縣・海舟・大隈・松方・伊藤・西園寺・大山・川上繰六・桂・乃木、、)。頼山陽日本外史」20-53歳、新井白石69歳。日本民族の伝記。大きなカバンに史料。貪欲。執念深い。強運。牛歩の如く、一歩一歩。逗子で関東大震災津波、三輪で史筆(元禄時代)、肉親の死去時も。一巻一巻が独立。62冊3万ページ、林羅山ら「本朝通鑑」5700ページ、徳川光圀大日本史」2500ページ、飯田忠彦「野史」3400P、頼山陽日本外史」22巻800p、新井白石「読史余論」、、。蘇峰は個人で書いた。敗戦時には一時中止するが気を取り直す。在世中の未発刊は24巻、孫に託す。「侍五百年之後」(多磨墓地の墓の中央に刻む)、知己を後世に求めた。

●蘇峰の生き方から何を学ぶか。
本物の条件(師匠・友と敵・志・仕事量・修養・構想力・日本回帰)
ジャーナリスト・歴史家・評論家(書く側の人間)。政治もやったが。
反抗=精神・生命。少年時代は士族閥への反抗(熊本)、青年時代は同志社の宣教師閥への反抗、壮年には藩閥への反抗、支那とロシアへの反抗、60歳ではアメリカ・イギリスの白閥への反抗(一大平等運動)、、。
「蘇峰自伝」は70歳、そこから四半世紀の人生!
55歳という年齢(今なら役職定年)から勇気を奮ってライフワークに取り組み、遂に完成させた。
近世日本国民史の後は、総論を書いて、その後は支那史を書くつもり。気力!支那には偉大な政治家がたくさんいた、日本は政治の貧困で滅びる。日本の政治家は政権の争奪にのみ頭を使い真に国家の発展につくす者がいないのは残念である。論語逆読?の法。
友は死ぬまで交わる、激励、応援。
「人生は一種の苦役なり。ただ不愉快に服役すると欣然として服役するとの相違あるのみ。」

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午後は一般入試三期の監督に従事。
夕刻は大学院OB会の野津事務局長と新宿で面談。