世田谷美術館で開催中の「白洲正子 神と仏、自然への祈り」を訪問した。
1910年生まれの白洲正子は、1964年に西国三十三カ所の巡礼の旅に出る。正子54歳。この観音巡礼は日本古来の自然信仰に源があることを確認する。「自分が行くべき道ははっきりと見えてき来た」と正子は述べている。
この企画展では、ゆかりの社寺の神仏像、美術工芸品が並べていて、その脇に選び抜かれた正子の言葉が原稿用紙の中に記されている。
那智参詣曼荼羅図、十一面観音巡礼、富士浅間曼荼羅図、神仏習合、焼損仏像残けつ(千手観音像トルソー)、十一面漢音立像、古面の数々、近江、、、。
この中で、巡礼に関する正子の言葉があった。
- 日本には「信心」という言葉がある。「何ごとのおはしますかは知らねども」の何ごとかを信じる心である。
- 西国巡礼というのは、観音信仰にはじまるが、観音がさまざまの形に変身して、人間を救うという考え方のもとに、かりに三十三の霊場が定められた。、、実際には「無限」を示す数である。、、、観音の慈悲に甲乙はなく、へだてもないという意味で、このことを追求して行くとしまいには人ぞれぞれによって、どう解釈しようと構わない。信仰の有無すら問わない、ただ「巡礼すればいい」そういう極限まで行ってしまう。、、、実に広大無辺な思想なのであった。
「巡礼」とは何かという問題意識を持っていた私にとっては、いい発見だった。
この美術館で「明恵上人」「世阿弥」と「西国巡礼」を買った。この「西国巡礼」の中に多田富雄さんの「白洲正子 西国巡礼を読む」を興味深く読んだ。
- 白洲さんにくっついて行った巡礼の終わりになって、その旅が実は自分を発見する旅だったことに気づくはずである。「「西国巡礼」を読む喜びは、白洲さんとともに己を発見する「道行」を重ねることだと思う。
- 「西国巡礼全体が、西国という大舞台に演出された、庶民のための大交響曲といえよう」

- 作者: 白洲正子,多田富雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/06/10
- メディア: 文庫
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