朝一合、昼二合、夜六合、あわせて一日一升(若山牧水)

若山牧水の続編。

牧水の牧は母まきの名から。水は生まれ故郷坪谷の渓と雨。
小学校は首席。延岡高等小学校はクラス2、3番。延岡中学4番で入学、卒業時は7番。

代表歌
 幾山河越えさりゆかばさびしさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりける


以下、牧水の歌で私の好きな歌を並べてみる。

早稲田大学時代以降の歌
 春雨や鐘は上野かあさ草かふるき江戸みるゆめごこちかな
 くれなゐの袴つけたる若き巫女の月に笙吹く春日の御堂
 桜の日恋知りそめしきのふよりこの世かずみぬうすむらさきに
 けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く
 接吻くるわれあがまへにあをあをと海ながれたり神よいづこに
 一人のわがたらちねの母にさへおのがこころの解けずになりぬる
 くちぎたなく父を罵る今夜の姉もわれゆゑにかとこころ怯ゆる
 思ひつめてはみな石のごとく黙み、黒き石のごとく並ぶ、家族の争論
 塩釜の入江の氷はりはりと裂きて出づれば松島の見ゆ

沼津時代の歌
 抽斗の数の多さよ家のうちかき探せども一銭もなし
 妻が眼をいたみ憚りぬすびとの猫のごとくに釣りに出でゆく
 妻が眼を盗みて飲める酒なればあわて飲みむせ鼻ゆこぼしつ
 うらかなしはしためにさへ気をおきて盗み飲む酒とわがなりにけり
 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる
 天地のいみじきながめ逢ふ時しわが持ついのちなしかりけり

こうやって印象に残る歌を並べてみると、若山牧水の人生の軌跡をたどるようだ。

この歌人には貧乏がつきまとう。その克服のためもあって旅に出て揮毫をして金を得るという生活が続いた。そしてもう一つの特徴は、酒の歌が多いことだ。

大悟法利雄編「若山牧水全歌集」に収録された8600余首のうち、367首が「酒の歌」だ。これほど多くの酒の歌をつくった歌人はいなかった。朝一合、昼二合、夜六合、あわせて一日一升が定量だったというから、文字通り朝から晩まで飲み続けていたということになる。息子の若山旅人によると、日本酒だけが好みの対象だった。小さな猪口に満たしてそれを目にもってゆき、目をつむるようにして口に含む。という飲み方だった。

 かんがへて飲み始めたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
 くちにふくめば疑ひもなきこのうまさやめられぬ酒の悲しかりけり
 ものいはぬ我にすすむるうす色の昼のひや酒妻もかたらず

酒の歌では、次の歌がとてもユーモラスで好きだ。
 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる

参考書籍
「人と作品 若山牧水」(清水書院)「明日にひと筆」(若山旅人)「牧水 酒のうた」(社団法人沼津牧水会)

というわけで、牧水の歌に誘われて、私も郷里の日本酒を一杯。
大分県宇佐市大字長洲の小松酒造場の特別純米「豊潤」。