と富士山と並び称される白隠という禅坊主がいた。
白隠という号も富士山に因んでいる。
「富獄は雪に隠れている」とのたとえからとったものである。
白隠(1685-1768年)は日本の禅界の中興の祖で、五百年に一人しか現れない不出の高僧だ。
この高僧は禅を広めるために、数万点の書画を描いた。千万言を費やしても究極のところを表すことはできないので、膨大な著書群に加えて大量の禅画・墨跡を残している。この独特の禅画・墨跡が圧倒的な人気なのである。
「気迫の圧倒的なこと、旺盛な精力まで籠められている」と女流作家で仏教者でもあった岡本かの子が評している。
白隠は、ほとんどの画に賛を書き込んでいる。画賛とは、「画に因んで、その夜は国書き添えた詩句など」(広辞苑)である。絵画と言語で表現する東洋独特のものである。白隠はこれに宗教的メッセージを入れ込んだ。また相手に応じて描き分けた。見て、読むことが大事になる。白隠の画業は後の富岡鉄斎と同じく80歳を越えてからがピークだった。84歳で没。
子どもの頃に聴かされた地獄の責め苦が恐ろしくこれを避けるために出家を決心する。
42歳で大悟するまで、白隠は悩み、苦しむ。そして増上慢心する。その折々に励ました、戒めた言葉がある。
- 煩悩即菩たい(大きな迷いがあれば、大きな悟りがある。問題のないところに答えはない)
- 慈明の志は道にあり。暁夕怠らず。夜坐眠らんと欲すれば、錐を引いて自ら刺す(引錐自刺より)
- 不借身命
- 悟後の修行
- 借り物の文字などなんになる。お前さんの所得をだしてみよ。
- これと思われる本物を二人、三人ほどを育てたらよい。
- 人間、死ねると決心したら、今度は生きることだ。
中津の自性寺には白隠の作品がある。自性寺は白隠にとって特別なコミュニケーションがあった寺である。
- 「出山釈迦」。苦行の果てにあばら骨が浮き、髭はぼうぼう、足の爪も伸びきった釈迦像。
- 「富士大名行列」。富士山のふもとを大名行列が通るところを描いたもの。「はるばる豊前の自性寺和尚にお届けする」。霊峰富士がダルマ。賛には「直指人心、見性成仏」とある。まっすぐに自分の心を見つめて、仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めなさい。
「円相」。賛は「十方、虚空無く、大地、寸土無し。
福神見温公語。子孫に金を残しても仕方がない。子孫に書物を残しても読みはしない。それよりも徳を積みなさい。
白隠は兼好法師が嫌いだった。「吉田猿候」という作品で兼好を猿にしている。これはなぜか。
墨跡はグラフィイクな書。「寿」を百の書体で書いた作品も。
「道中工夫」(道中の工夫は静中に勝ること百千億倍」
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