箱根のポーラ美術館で「モディリアーニ展」が開催中だ。
正式には「モディリアーニを探して--アヴァンギャルドから古典主義へ」というタイトルになっている。
同時代の絵画や彫刻の文脈のうちにその存在を探りなおすことで、この芸術家の歴史的な位置を再考する企画である。
モディリアーニは引き延ばされた顔、目がない、独特の絵を描く。
20世紀初頭の「エコール・ド・パリ」を代表するイタリア出身の画家・彫刻家のモディリアーニ(1884−1920)は、35歳の若さで亡くなる。過度の飲酒と麻薬への耽溺が死因だった。
妊娠6か月の身重の妻・ジャンヌは、夫の死の翌々日にアパートの6階の窓から身を投げている。
モディリアーニは生前は十分な評価を得られずに、死の直後から評価が急上昇している。
同時代のピカソ、ユトリロら芸術家たちが見たモディリアーニは魅力的だ。
高貴なたたずまいと深い教養と知性があり、「モンパルナスの貴公子」と呼ばれている。強い人間的魅力と存在感があり、機知にとんだ会話をし、美について情熱的に語った。「ローマ風の横顔や威厳ある姿」と言われたように美貌でもある。
ポール・アレクサンドル(1881−1968年)は知識豊かな美術愛好家でりあ、最初にモディリアーニを発見した医師で、彼を激励し作品を買い続けた。モディリアーニのパトロンだった。
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