ドラッカーコレクション「珠玉の水墨画」

午後:品川での大学院教授会と九段でのインターゼミの間に少し時間があったので、京橋のLIXILギャラリーで開催中の「伊東豊雄 ライフスタイルを変えよう--大三島を日本で一番住みたい島にするために」をみて来た。
建築家・伊東豊雄は、仙台メディアテークをつくった人で、仙台時代に講演を聞いて、この人は本物だと思ったことがある。
何冊か本も読んでいるし、活動を注目してきた。
今取り組んでいる愛媛県今治市大三島プロジェクトのイベント。
詳細は後ほど。

夜:千葉市美術館で「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」展が開催中だ。サブタイトルは「マネジメントの父」が愛した日本の美。その最終日なので万難を排して見に行った。大正解だった。
この日は午後8時までの開催だったので、何とか1時間ほどみることができた。絵画そのものはまだまだじっくり味わうことはできなかった。山口に巡回するらしいが、見に行きたいくらいだ。
絵画を見つめる目の確かさと、絵画の本質を見抜、それを彼の名著の中に出てくる胸に刺さるよな的確な言葉で表現しており、メモを熱心にとってしまった。さすが、ドラッカーだと改めてこの知の巨人の存在感に感銘を受けた。
「正気を取り戻し、世界への視野を正すために、私は日本画を見る」というドラッカーは、日本美術の愛好者であり、研究者であり、そして収集家であった。1959年の初来日以降、毎年のように日本を訪れたドラッカー夫妻は、仏画、やまと絵、水墨画文人画を集めていった。若沖、蕭白、そして白隠、仙?などの禅画に関心を持った。今回は水墨画に焦点をあてた企画展である。
会場に晩年に使った大きなタイプライターが置いてある。このタイプライターで最後の10冊を書いた。それはブラザーGX−6750という機種で、日本製だった。
「人口を鑑みれば、日本にはアメリカの2・5倍の読者がいる」と言ったドラッカーは、1966年に当時の佐藤栄作総理から勲三等瑞宝章をもらっている。
晩年の驚異的な多作の秘密は「レスポンス・カード」にあった。そこにはラジオ、テレビ、パネル、インタビュー、寄稿、推薦、、、などは「unable」と印刷してあり、この言葉が目立つように、下線まで引いてあった。集中力を乱す可能性のあるものを避けるためだった。なるほど、そういう心構えで日常を律していたのかと改めてこの知の巨人を身近に感じることができた。
詳細は、後日に記す。

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名言の暦 6月27日

命日

  • 伊達政宗1636:残躯楽しまざるべけんや
  • 鈴木三重吉1936:私の論述は内容にも機構?にも、他人の所説や工夫を踏用したところは1点もない。すべてが私自身の創意である。
  • 松岡洋右1946:三国同盟は僕の一生の不覚だった。
  • 清瀬一郎1967:

生誕

  • 小泉八雲1850:
  • ヘレン・ケラー1880
    • 楽天は人を成功に導く信仰なり。
    • 障害は不自由であるけれども、決して不幸ではありません。
  • 谷沢永一1880
    • 男が成長するとは、自分が持たないものをひとつひとつ確認し、次第にあきらめてゆく行程である。
    • 古本屋の本は値切るな。
      • 才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてをひっくるめたところで、ただ可愛げがあるという奴には叶わない。
  • 横尾忠則1936:アーティストはみんな自分で自分が驚く絵を描きたいもんだよ