企業の学内合同説明会(3年生向け)

「名言との対話」2月25日。斉藤茂吉

  • 「なにかを光らせるためには、光るまで磨くだけでいい。」
    • 2月25日は菅原道真、契沖、斎藤茂吉が長逝した日。今日は茂吉を取り上げる。
    • 茂吉の故郷の山形の上山の仙山線斎藤茂吉記念館前という駅がある。ここに茂吉56歳の時の自作短歌朗詠コー-ナーがあり、茂吉の生前の朗々とした声を聴くことができる。最後の歌は「いつしかも日がしづみゆき うつせみの われもおのづからきはまるらしも」。茂吉の名前は、長男茂太、次男宗吉(北杜夫)に分けられている。
    • 茂吉の後を継いだ代表的歌人の中に、柴生田稔という名前があった。この人は日航時代の私の上司の父親で、葬儀に行ったことがある。
    • 日本初の脳病院であった青山脳病院の跡継ぎ探しで、目にとまった少年茂吉は徒歩で仙台に行き、そこから東京に向かった。医学と文学の長い葛藤が始まる。一高では漱石に英語を習っている。面白いのは、茂吉は次男北杜夫が昆虫などの動物学や文学活動は認めず、医学の道を勧めたことだ。しかし杜夫もまた文学の道へいくことになる。
    • 年表を眺めてみると創作意欲の大きさに感嘆せざるを得ない。
    • あらゆるものは石ころとして身辺に転がっている。どの石も原石の資格がある。縁のあった石を長く磨くだけで光ってくる。短歌の世界で輝く星となった斉藤茂吉は、そういった気持ちで毎日原石を磨き続けたのだろう。この茂吉の言葉からは勇気をもらえる。