「ライフシフト 100年時代の人生戦略」---無形資産のマネジメント

「ライフシフト 100年時代の人生戦略」(リンダ・グラットン。アンドリュー・スコット著。東洋経済新報社)を読了。

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

100歳以上の人生を送った人をセンテナリアンと呼ぶ。

日本は現在6万人以上がセンテナリアンであるが、2050年にはセンテナリアンは100万人を突破する。今先進国で生まれる子どもはセンテナリアンになる確率は50%以上、現在の19歳は101-102歳、29歳の人は8-100歳、39歳は95-98歳、現在59歳の人は89-94歳となり、半分以上が90歳を越える人生になる。

穏健な楽観主義者と自称する著者によれば、平均寿命は110-120歳まで上昇し、その後のびが減速するとのことだ。

未来を予測するには、今の8歳が55歳になった時も平均余命がいまと変わらないという前提で導き出したピリオド平均寿命ではなく、啓蒙キャンペーンと医療の進歩によって平均余命が延びている前提で導き出した平均寿命である「コーホート平均寿命」で考えるべきである。

 

このセンテナリアン時代に、人生と仕事がどのうようになるのかを経済学と心理学の観点から探った興味深い本である。

今後10-20年でアメリカの雇用の47%が消失する恐れがあり、6000万人が職を失う予測もある。新しい企業や産業はあまり人を雇わない傾向にあり、雇用は空洞化していく。

では、人間にしかできないこととは何か。

  • 複雑な問題解決に関わる能力で、専門知識、帰納的推論能力、コミュニケーションスキル。創造性、共感、、。イノベーション精神。遊びと即興。
  • 対人関係と状況適応能力で、主に体を使う仕事で必要とされるもの。

よい人生とは何か。

やさしい家族、素晴らしい友人、高度なスキルと知識、肉体的・精神的健康に恵まれた人生だろう。そのためには、有形資産だけではなく、無形の資産が重要だ。それはスキルと知識という生産性資産(汎用的なスキルと良好な評判)、健康という活力資産(健康・友人・愛)、自分理解と人的ネットワークという変身資産(新ステージへの移行の医師と能力)である。

私たちは生涯を通じて新しいスキルと専門技能を獲得し続けるだろう。専門技能を身につけるのは1万時間必要といわれるが、一生は87万3000時間になるから、複数の専門を持てる。

 

  • イデアの創造、直感的判断、チームモチベーション向上、意思決定スキル、思考の柔軟性、、。教養と科学・技術。経験学習という学び方の比重。問題解決能力を持つ人物。強力な人間関係。
  • 長寿時代は健康の価値が更に高くなる。3分の2は生活習慣で補える脳を鍛える。
  • 前向きの親しい友人ネットワーク。
  • 余暇時間はレクレーション(娯楽)から、リ・クリエーション(再創造)へ。新しいスキル・知識、人的ネットワーク、視点への投資。金融リテラシー
  • 多くのステージと多くのキャリアを貫く一本の柱。アンデンティティ。
  • 探検者(エクスプローラー)。生涯を通じて探検と旅を続け、新しい経験を追求。
  • 特に楽しい活動:セックス、スポーツ、釣り、アートと音楽、社交、子どもとの遊び・会話・読み聞かせ、睡眠、協会通い、映画鑑賞、、。
  • 何かに打ち込むこと。自己効力感と自己主体感。覚悟と努力。デジタルテクノロジーは100年ライフの学習のための頼もしい手段。MOOCsとの競争。

無形資産をどのようにマネジメントするかが、100年時代の真のテーマだ。

 

以上がこの本の概要と主張である。

さて、幸福について、「カネ・ヒマ・カラダ、そしてココロ」、そして自由の拡大がポイントだという考え方を私は持っている。

人生100年時代はヒマが大きく増える時代だ。それはカラダにも、カネにも、ココロにも大きな異次元の想定外の影響を及ぼすであろう。有形資産の代表であるカネ、肉体的健康という意味でのカラダに焦点が当たるだろうが、本丸は精神的健康という意味でのココロである。

この本で主張する無形資産である家族・友人・スキルなどは、インフラに過ぎないともいえる。長い時間を使って、人間は何をするのか。個人は何をするか。それが一人一人の真のテーマになるはずだ。

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「名言との対話」10月24日。北杜夫

-「わかりきったようなことに直深い謎を見い出せるのは選ばれた人tたちだ」

-北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉(さいとう そうきち)、1927年5月1日 - 2011年10月24日)は、日本小説家エッセイスト精神科医医学博士。祖父は医師で政治家の斎藤紀一。父は紀一の養子で、歌人で医師の斎藤茂吉。兄はエッセイスト精神科医斎藤茂太。娘はエッセイストの斎藤由香。27歳で「幽霊」を自費出版。33歳、「どくとるマンボウ航海記」(中央公論社宮脇俊三が編集者)がベストセラーに。「夜と霧の隅で」で芥川賞。34歳、「楡家の人びと」執筆開始。37歳、刊行。

-学生時代に読んだ記憶のある「楡家の人びと」は、1964年に出版された。一族3代の繫栄と衰退の大きな物語を軸に近代日本の時代と運命を描いた2000枚近い傑作である。北杜夫はこの本の執筆に3年以上かかっている。三島由紀夫は、「これほど巨大で、しかも不健全な観念性をみごとに脱却した小説」「これこそ小説なのだ!」と最大級の賛辞を送っている。また、初代院長基一郎は、何といふ魅力のある俗物であろう」とも語っている。

-北杜夫が松本高校時代に答案に書いた歌が残っている。後のユーモア満載のベストセラーを予感させる。
 問題を見つめてあれどむなしむなし冬日のなかに刻(とき)移りつつ
 怠けつつありと思ふな小夜ふけて哲学原論をひた読むわれを
 時によりできぬは人の習ひなり坂井教授よ点くれたまへ

-北杜夫が2000年の夏に書いた遺書がある。北の人生観が透けて見えるようだ。死亡して半月ほど発表せず、二階の書棚の石棚にある茂吉の骨とまぜ青山もちの斉藤家の墓におさめるべし。なるたけ母輝子の骨のそばやよし。通夜、葬式、しのぶ会は一切なし。死亡発表後、香典は受け取る。香典返しなし。小さな記念館だけでもつくることを許さず。

-学生時代、北杜夫のどくとるマンボウシリーズを熱心に読んだ記憶がある。一方で「楡家の人々」という大作にも触れた。躁鬱病と自らを診断したこの医者兼作家は、「わかりきったようなことになお深い謎」を見いだすことが、創造の鍵だと知っていた。確かに、常識を疑うことが契機になる。我疑う、ゆえに我あり、だ。

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「副学長日誌」志塾の風161024」

-出原先生:フランス出張報告。ビッグデータの留学生も。

-高野課長:来年度採用予定者の理事長面談日程

-飯田先生:副学長日誌

-大学院の瀧川課長:大学院問題

-趙先生:最近の情勢