司馬遼太郎「覇王の家」(新潮社)を読了。

- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1997/09
- メディア: 単行本
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家康については、「覇王の家」という作品があることは知っていたが、家康という人物にあまりいいイメージがなかったこともあってなかなか手に取るに至らなかった。
最近、いくつかの本を読みながら、あるいは人物記念館をまわりながら、家康のやったこと、器の大きさについて関心を持ってきたので、読み進めた。
以下、司馬遼太郎が家康という人物について語った部分。
- 堅牢に複雑にできあがった二重性格
- 気味わるいばかりに皮質の厚い、いわば非攻撃型の、かといってときにはたれよりもすさまじく足をあげて攻撃へ踏みこむという一筋や二筋の縄で理解できにくい質のややこしさ。
- 正直を演技するという、そういうあくの強い正直であった。
- 日本の歴史に対し先覚的な事業をすこしも遺さなかったと言う点で、めずらしいほどの存在である。
- 「勝ってばかりいて、一度も負けたことがない人間は、どこかよろしくない」
- 自分の体験を懸命に教訓化し、その無数の教訓によって自分の臓腑を一つずつつくりあげたような男。
- 「わしが鷹野をこのむのは、ひとつは健康のためである」
- 人間というのは人間関係で成立している。
- すぐれた偽善家
- 実証的な性格
- 意思の持続力には、損得の計算を越えたにぶい、しかし堅牢な情念というものがその性格の底にある
- 年少のころから一度も人を謀殺したことがない
- 強靱な筋肉質をもった自己防衛上の意志計算力をそなえていた。
- 人のあるじといいうものほど本来、不自由なものはない
- いずれ、物事が煮えてから。
- 計算の達者であり、冒険家ではなかった
- ハキとしたこと申さざる人
- 骨の髄からの蓄財家
- 独創力に乏しく、それをみずから知ってものまねびを重ねてきた男
- 参謀や軍師というものを必要としなかった
- 興醒めるほどに実利的
- 「われ、素知らぬ体をし、能く使いしかば、みな股肱ととなり、勇功を顕したり」
- 執拗さ
- 徹頭徹尾模倣者
- 技術好き
- 戦場諜報に熱心
- 猜疑深くなかった
- 「愚かなことをいう者があってもしまいまで聴いてやらねばならない、でなければ聴くに値することを言う者が遠慮をするからだ」
- 専決をおそれた。総意を執行すべく自分の身を犠牲にする、、。
- 現実家
- 耳学問
- 自分という存在を若いころから抽象化し、自然人というよりもホウジンであるかのように規定し、、
- 「天下の政においてすこしの無道もあるべからず。これをわが家の伝えとせよ」
司馬遼太郎の家康観は以上であり、好印象を持っていないようにみえる。
しかし、外様と譜代の遇し方、幕府の職制、江戸の街の創造、優れた敵の遺産を用いるやり方など、家康という男には気宇の壮大なところがあるように思う。
「名言との対話」3月15日。カエサル。
- 「賽は投げられた」
- ジュリアス・シーザーという名前で記憶していたが、最近はカエサルというらしい。英雄中の英雄であるローマのカエサルは3月15日に、「ブルータスよ、おまえもか」という最後の言葉を発し暗殺される。
- この言葉は紀元前49年1月10日、元老院に背いて軍を率いて南下し北イタリアのルビコン川を通過する際に言ったとして知られる言葉である。
- 乾坤一擲の勝負に向けてのサイコロをすでに振ってしまった。「ここ(ルビコン)を越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」と言い、法で禁じられていた武装してルビコン側を渡ると決め、宿敵ポンペイウスを打ち砕く。
- 「賽はは投げられた」とは、事はすでに始まっており、逡巡なく断行するのみであるという意味である。転勤、転職など人生の岐路に立ったとき、この言葉が脳裏をかすめることがある。賽を投げたら、つまり決断をしたら、後は迷いなく、脇目をふらず、目の前の道をまっすぐに進むだけだ。