漱石の「天下の志」

夏目漱石 周辺人物事典」(原武哲)を時々眺めている。

夏目漱石周辺人物事典

夏目漱石周辺人物事典

漱石の人生を、幼少時代、学生時代、松山時代、熊本時代、留学時代、東大・一高時代、作家時代と分けて、出会いや交流の深かった138人の人物の来歴と業績、そして漱石との縁を紹介している労作である。
引く事典であると同時に、読む事典でもある。列伝風であるが、漱石の伝記的意味がある。
この中に、漱石の「志」に関する記述を見つけた。

  • 後に哲学者となる米山保三郎という友人から、第一高等中学校予科から本科に進学する時期(21歳)に、「君は何になるか。」と尋ねられ、「僕は建築家になって、ピラミッドのようなものを建てたい。」と答えている。
  • 米山からは「今の日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズ寺院のような建築を天下後世に残すことはできないじゃないか。それよりもまだ文学の方が生命がある。」と言われる。
  • 漱石は食べることを基点にしているが、米山の説は、空空漠漠として衣食を眼中に置いていないことに、漱石は敬服し、文学者になることを決意した。
  • 新たな文学論の構築を目指して英文科に進む。
  • その後、漱石は、以後の日本文学の基礎となるべき書物を著すという「天下の志」を実現すべく、取り組んでいった。

こういった漱石の運命の変化は、日本の文学史にも大きな影響を与えることになった。
「世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません」と、漱石は牛のように超然として押していった。
今では日本文学を論じる場合に、近代以降は漱石の存在を抜きには語ることはできない。
夏目漱石は、文学におけるピラミッドを創造したのである。
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「名言との対話」5月17日。伊能忠敬

  • 「いや、わしは五十一になったばかりだ」
    • 江戸時代の商人・測量家。寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした。
    • 朝日新聞の記事(2000.04.30)を見つけた。「この1000年「日本の大冒険・探検家」読者人気投票」という企画である。10位・川口えん海、9位:猿岩石、8位:白瀬のぶ、7位:間宮林蔵、6位:ジョン万次郎、5位:堀江謙一、4位:最上徳内、3位:毛利衛、2位;伊能忠敬、1位:梅村直己。伊能忠敬への評価は高いものがある。
    • 「精神の注ぎ候ところより自然と妙境に入り、至密の上の至密の上をも尽くし候」
    • 「人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない」
    • 日本地図づくりに挑んだ伊能忠敬は、隠居して江戸に出て天文学の修行をしようとしたが、反対する家族に「いや、わしは五十一歳になったばかりだ」と若さを強調した。そして56歳から72歳までかかって、毎日10里、四千万歩を歩き。14年間のうち9年を旅に費やしたのである。
    • 人生は常に今からと考えよう。