漱石は手紙魔だったーー『漱石書簡集』を読む

先日訪れた漱石山房で購入した三好行雄編『漱石書簡集』(岩波文庫)を読んでみた。

漱石は手紙魔であった。手紙を書くことも、もらうことも好きだった。岩波書店版『漱石全集』の第14巻、第15巻には2252通の漱石の手紙が収録されている。そのうちの158通を編んだ書物で、家族、友人、弟子、公的な手紙などが掲載されている。

漱石の時代は、様々の連絡は手紙で行われた。漱石の手紙には、心を許した人たちへの愛情のこもった配慮がうかがわれる。漱石の志、生きる心構えなどが率直に、自在に語られている。漱石の素顔、本音に接することができて非常に興味深い。『漱石全集』第14巻、第15巻を入手したい。

夏 目漱石は、何をしようとした人なのか。そういう視点で記してみたい。

1902年の中根重一あての手紙には、著述を思いたったことが記されている。ロンドン留学中の35歳の時の決心である。

  • 「世界を如何に観るべきやといふ論より始め、それより人生を如何に解釈すべきやの問題に移り、それより人生の意義目的及びその活力の変化を論じ、次に開化の如何なる者なるやを論じ、開化を構造する諸原素を解剖し、その聯合して発展する方向よりして文芸の開化に及ぼす影響及びその何物なるかを論ず」るつもりに候。
  • 「自分ながらその大胆なるにあきれ候事有之候へども思ひ立候事故行く処まで行くつもりに候。

夏目漱石は後に哲学者となる米山保三郎という友人から、第一高等中学校予科から本科に進学する時期(21歳)に、「君は何になるか」と尋ねられ、「僕は建築家になって、ピラミッドのようなものを建てたい」と答えている。米山からは「今の日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズ寺院のような建築を天下後世に残すことはできないじゃないか。それよりもまだ文学の方が生命がある」と言われる。漱石は食べることを基点にしているが、米山の説は、空空漠漠として衣食を眼中に置いていないことに、漱石は敬服し、文学者になることを決意し、新たな文学論の構築を目指して英文科に進む。その後、漱石は、以後の日本文学の基礎となるべき書物を著すという「天下の志」を実現すべく、取り組んでいった。

  • 大著述も時と金の問題だから出来なければ出来ないでも構わない。
  • 人間は自分の力も自分で試して見ないうちは分からぬものに候。、、機会は何でも避けないで、そのままに自分の力量を試験するのが一番と存候。
  • 百年後の博士は土と化し千の教授も泥と変ずべし。余はわが文を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり。、、、余は隣近所の賞賛を求めず。天下の信仰を求む。天下の信仰を求めず。後世の崇拝を期す。この希望あるとき余は始めて余の偉大なるを感ず。
  • 僕は世の中を一大修羅場と心得ている。そしてその内に立って花々しく打死をするか敵を降参させるかどっちかにして見da と思っている。、、、打死をしても自分が天分が天分を尽くして死んだという慰藉があればそれで結構である。、、、どの位人が自分の感化を受けて、どの位自分が社会的分子となって未来の青年の肉や血となって生活し得るかをためして見たい。
  • 夏目某の天下に与うる影響が広くなるか狭くなるかという問題である。
  • 虞美人草』はそんな凡人のために書いているんじゃない。博士以上の人物即ちわが党の士のために書いているんだ。、、、博士にならなければ飯が食えないと思うものに好例を示してやる。
  • 死んだら皆に柩の前で万歳を唱えてもらいたいと本当に思っている。

漱石の小説は一つ一つが石を積むことだった。漱石は文学のピラミッドを建てたわけだ。

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「名言との対話」11月18日。徳田秋声「老年の不幸は、友人がなくなることと、死の近づくことだろうが、しかし大自然のなかに生きている寂しさを味わいつめたものには、それも大した悲しみではない」

石川県金沢市出身。金沢三文豪の一人。尾崎紅葉門下の四天王の一人。島崎藤村田山花袋と並ぶ大家。明治・大正・昭和の三代にわたり常に文壇の第一線で活躍した人である。

弱者、庶民の生活を描く作風。『新世帯』、『黴』、『爛』、『あらくれ』、『仮想人物』、『縮図』などが代表作。

尾崎紅葉門下の重鎮、自然主義文学の大家、膨大な仕事をこなす流行作家、一時的な低迷期を経て復活を果たした充実した円熟の境地と、時代の風潮をにらんで創作活動を71歳で亡くなるまで50年以上にわたり続けた作家である。

2007年に徳田秋声記念館を訪問した。同時に金沢の三文豪である泉鏡花室生犀星の記念館も訪ねている。

川端康成は「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に跳び、西鶴から秋声に飛ぶ」と発言している。鴎外も漱石もそこにはいない。「未熟な時代の未熟な作家」という見方であった。その漱石は、嘘がなく現実味があるが、フィロソフィーがないと批判的であった。

『新世帯』と『黴』を読んでみた。庶民の日常の男女の心理描写にすぐれている。確かに手練れの小説との印象を持った。

『日本文学全集9 徳田秋声集』の付録に「徳田秋声のことば 人生の光と影」から、以下の言葉を拾う。

自然や人生について。

・風物の微妙な感じは、冬なら冬、夏なら夏が、静かに春や秋と入れかわろうとしている時に、最も人を楽しませも、傷ませもする。

・人生も隅から隅までわかったら、私の利巧ではない人間は生きていられないかもしれない。

・またいいこともある。悪いことばかりはないもんや。

芸術について

・個人性を除外しては、芸術はほとんど成り立たないと言っていい。

・いくら骨を折って書いたところで、資質以上に大きくなることは容易なことではない。

感受性が極めて高いと思われる徳田秋声は「老年の不幸」は、「大自然のなかに生きている寂しさを味わいつめたものには、それも大した悲しみではない」と語っている。「味わいつめた」秋声という、人生と自然を見つめ続けた作家の最後の心境である。そういうものなのだろうか。

 

参考

徳田秋声名作全集』(日本文学研究会)