西和彦『反省記』(ダイヤモンド社)を読了。 アスキーを創業した西和彦の半生にわたるの反省の記録である。
西和彦は 得も言われぬ魅力がある人物で、私は西さんのアスキー社長時代、そして宮城大学の客員教授の時代に親しくしていたので、興味深く読んだ。
序章の「遭遇」から始まり、「萌芽」「武器」「船出」「ゲリラ」「進撃」「伝説」「開拓」「対決」「未完」「決別」「瓦解」「暴落」「ブラック」「造反」「屈辱」「陥落」「撤退」「負け犬」、そして「再生」で終わるという構成である。
価値観を形成することになる「生い立ち、出会い、出来事」、仕事に立ち向かう前提としての「性格、関心、能力」、キャリア形成そのものである「学習歴、仕事歴、経験歴」という私の観点から、整理しながら読み進めた。
特に「再生」を意識しながら読んだ。西和彦は、須磨学園経営者の一族という出自、アスキーという学校の部活動に近い雰囲気の会社の起業、そしてアップダウンの激しいキャリアの中で、東京工大、宮城大学、工学院大、尚美学園短大、尚美学園大、早稲田大、青山学院大、作新学院大、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター、国際連合大学高等研究所、東大、など一貫して大学教育に携わっているのも特徴だ。その間、博士号も取得している。
学士号とは「これから社会に出てプロになる」という決心、修士号は「自分はプロである」という証明、博士号は「世界でひとつだけのことをしている」という誇り。こういう断定が西和彦の面白さだ。数日前に大学院の修士論文基礎講座で「必ず書ける! 修士論文の書き方」というテーマで講義する直前に書店で買い、少し読んだ上で、修士号の獲得を目指す社会人院生に、この本を紹介し「プロである証明」として頑張るように言った。私なりには、学士は有為の人材の証明、修士は一廉(ひとかど)の人物の証明、博士は世界で唯一の人間の証明と考えてみよう。「世界でひとつだけのことをしている」という誇りで私も日々を送ることにしよう。
さて、この人の本分は教育にあると改めて感じた。西は自分の手で理想の大学をつくろうとしたが、ビル・ゲイツからの援助があった秋葉未来大学はリーマンショックで吹っ飛び、また会津大学学長選での敗北などを経て、2020年現在は、新しい大学の創設を志している。それは小田原の関東学院大学の敷地に2022-2023年にできる予定の工学部だけの日本先端大学だ。
夏目漱石は後に哲学者となる米山保三郎という友人から、第一高等中学校予科から本科に進学する時期(21歳)に、「君は何になるか。」と尋ねられ、「僕は建築家になって、ピラミッドのようなものを建てたい」と答えている。米山からは「今の日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズ寺院のような建築を天下後世に残すことはできないじゃないか。それよりもまだ文学の方が生命がある」と言われる。漱石は食べることを基点にしているが、米山の説は、空空漠漠として衣食を眼中に置いていないことに、漱石は敬服し、文学者になることを決意し、新たな文学論の構築を目指して英文科に進む。その後、漱石は、以後の日本文学の基礎となるべき書物を著すという「天下の志」を実現すべく、取り組んでいった。漱石は文学のピラミッドを建てたわけだ。
内村鑑三は『後世への最大遺物』という書(講演録)で、「人は人生で「何を遺すか」という問いを発している。そして、金を遺すか、事業を遺すか、思想を遺すかといい、いずれも才能が必要であり、そうでない人は、「高尚なる生涯」を遺せといった。人生の後半になってくると、「何を遺すか」というテーマがしだいに大きくなってくるのだ。
西和彦も、独創的な技術者を育成することで、日本の技術者の層を少しでも厚くしていく。そして彼らが新しい産業を生み出すことを願って支援するという仕事をライフワークとしてやっていくであろう。それはインターネット世界での西自身のピラミッド建設なのである。
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スイミング500m
テレビで「昭和の偉人」をみた。南こうせつ。来週もあるので楽しもう。
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「名言との対話」9月13日。大塚實「亀の歩みは兎より速いことを知れ」
大塚 実(おおつか みのる、1922年(大正11年)10月9日 - 2019年(令和元年)9月7日)は、日本の実業家。大塚商会創業者。
中央大学法学部卒業。1947年(昭和22年)に 理研光学(現:株式会社リコー)入社し、1951年に退社。以後、理研紙工業、ルミナ閃光電球、山本商会を経て、大塚商会を創業する。「結局は人に使われることはダメだと悟った。あとは自分でやるしかない」、それが38歳で独立した理由でもあった。「ビルマ戦線で生き残り、2年間の収容所生活をしたのちに、七転び八起きを繰り返した結果、サラリーマンとしての限界を感じたことで、生命保険を切り崩し、なけなしの30万円で創業したのである。
リコーの市村清との約束通り、大塚商会は東京と大阪でリコー最大最強の代理店になった。創業の志として掲げていたのが、「社員に喜ばれ、社員が誇りとし、社員が家族に感謝される会社」になる。コピー、オフコン、ファクスの3分野を扱うOAブームの仕掛け人企業となり、『世の中になくてはならない会社』として目覚ましい発展を遂げた。
以下、大塚実の名言を楽しむことにしよう。
- 「病的なまでに不安感を持ちなさい」「昨日までの専門家でなく、明日の専門家になる」「情報伝達に組織はない」
- 「人を使うというのは自尊心を使うこと」。「人を使うコツとは先ず、その人の長所を六割とか七割に評価し、短所を三割か四割に見ることではないでしょうか」。
- 「自分より下の者との交際には、自分で心の駒を落して、相手と対等の処で交わるべき。自分より上の人との対応には、いたずらに恐れず、自分の心に何目か置いて対すれば、ある意味で、一対一の交際ができる」
- 新任管理者の心得の一つ。「率先垂範はマネージャーの第一歩。現場密着なくして、適切なアドバイスはできない。部下に金に汚いと思われたら終わりだ」
- 「困難は耐え忍ぶだけではいけない。困難は進んで味方にするべきもの。また、困難を言い訳の種にしてはいけない。困難を人より先に解決すれば、それが最有力の武器になる。ひとたび味方にしたら、これほど強力な味方はない」
- 「六守四攻」。守備に六の力、攻撃に四の力、つまり「六守四攻」を基本戦略の一つに置いている。
- 「サービスに優る商法なし」「山上山有り山幾層」「ピンチはチャンス」
社訓は5か条ある。自筆の社訓は支店が新たに開設されるたびに自ら書いていたという。その5か条目は「亀の歩みは兎より速いことを知れ」だ。 「自分が目標に向かってベストを尽くしているのならばそれでいい。雨の日も、風の日も、天気がいい時も、寄り道をせずに目的に向かって一歩ずつ歩み続けることが大切である。弱者でも強者に勝てる」と語っていた。「若いころからうぬぼれが強くて自信家だったため、半生は浮沈の連続。その反省から兎ではなく、亀の歩みに徹しようと考えて、肝に銘じた」のである。亀は一歩一歩確実に脇見をせずに目的に向かって最短距離を歩き続けたから早く目的地に到達できる。こういう人が成功するのは当然だ。