石橋湛山記念館。南アルプス・クライネガルテン。

 f:id:k-hisatune:20170606211420j:image

理事長の浅川保先生から詳しく説明を受ける。このミュージアムは10年前に開館。山梨の生んだ石橋湛山の内閣誕生・退陣50周年にあたる2006年から企画展、シンポジウム、講演会などの積み重ねの上に、2007年5月26日にオープンした。寄付金3800万円で土地と2階建ての建物をつくったのである。

f:id:k-hisatune:20170606211639j:image

第二次大戦では、甲府はアメリカ軍の大空襲(たなばた空襲)を受けて1127名が亡くなっている。負傷者1239目、被害戸数18094。この甲府には甲府連隊が1909年から1945年まで存在した。49連隊は満州、フィリピンレイテ戦、149連隊は、日中戦争でドイツの指導を受けて毒ガスを使用した。

甲府空襲:ある少尉「生き地獄であると知りつつもあまりの見事さに見とれるほど」「これが破滅の美」

内田俊一日記(1905年生・32歳で戦死)「今、漸く戦場日記を記しつつ頭上砲丸炸裂、、、生命の何処に消え失せるやも観念せり。霊は遠く故郷に帰りて、老母に会い妻と語らい坊やを抱く。故郷の山里を恋ひ村人をしたふ。戦場、只悲惨、死あるのみ」

 2階が石橋湛山

f:id:k-hisatune:20170606211524j:image f:id:k-hisatune:20170606211751j:image

f:id:k-hisatune:20170606211727j:image f:id:k-hisatune:20170606211728j:image

明治神宮の建設に対してノーベル賞のような「明治賞金」を提案。「最大事業は、政治、法律、社会の万般の制度および思想に、デモクラシーの改革を行ったことにあると考えたい。世界人心の奥底に明治神宮を打ち建てよ」

一切を棄てる覚悟「小欲に囚われていることだ。志の小さいことだ。大欲を満たすがために小欲を棄てよ。満州を棄てる、山東を棄てる、その他志那が我が国から受けつつあると考える一切の圧迫を棄てる」

大日本主義の幻想「一体何国から我が国は侵略せらるるおそれがあるのか。野心を棄つるならば、、、戦争は起こらない。他国から侵略されることも決してない」

「兵営の代わりに学校、軍隊の代わりに向上」

 f:id:k-hisatune:20170606211550j:image

 浅川理事長と。

浅川保「偉大な言論人 石橋湛山」(山日ライブラリー)を購入。

f:id:k-hisatune:20170606212513j:image f:id:k-hisatune:20170606212531j:image

「名言との対話」6月5日。富本憲吉「陶工にとっては、その作品だけが墓であると思うべし」

富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年明治19年)6月5日 - 1963年昭和38年)6月8日)は、日本の陶芸家。1930年には重要無形文化財「色絵磁器」保持者として人間国宝となった。1961年、文化勲章受章。

実際、遺言には「骨は灰にして加茂川に流してしまうべし」とあった。家族はそういうわけにもいかず、先祖代々の墓地に石塔をたてている。

「作品だけが墓である」には芸術家の覚悟がみえる。これほどの決意で作品に立ち向かっていきたいものだ。