『私の死亡記事』(文藝春秋編)という面白い本を読了。
ネクロロジー(死亡記事、物故者略伝)では、客観的評価が記されるが、本人が思っていることとは別である。生前に本人に死亡記事を書かせようという前代未聞の企画である。102人の識者がこの企画に賛同して真面目に、ユーモアたっぷりに書いている。
2000年12月に単行本が出て、2004年12月に文庫がとなった時点で6人が故人となっている。その後、12年以上が経っている。
本人の想いと実際はどう違っているか? 以下、だんだん埋めていきたい。
中野孝次「文学を愛し、以て終生の業となす」。ガン、享年79。
野村万之丞「突発性腹上死、享年41」。享年44。
早坂茂三「ゴーカート運転中に谷間に転落。享年76」。享年73。
安原顕「60代は年平均4冊のペースで刊行」。享年63。
山本夏彦「ニュースを扱わないで30年以上コラムを書くのは骨である」。享年87。
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阿川弘之「御弔供花弔電御香料の儀は拝辞」。享年94。
岩見隆夫「呼吸不全。74歳」。享年78。
小沢昭一「老衰。99歳」。享年83。
黒川紀章「76歳」。享年73。
小林カツ代「97歳」。享年76。
佐伯彰一「80年」。享年93。
高野悦子「肺炎。87」。享年83。
高峰秀子「死因は不明、天寿」。享年86。
立松和平「85歳。著書300冊」。享年62。
谷沢永一「70?歳。肝硬変。」享年83。
徳岡孝夫
野中広務「享年88。天寿を全う」。享年92。
細川隆一郎「自然死」。享年90。
山口昌男「享年不明」。享年80。
屋山太郎「脳溢血。享年70。最後の言葉は「頭にきた」」。享年85。
渡部昇一「突然死」。享年86。
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16時半:湘南キャンパスでグローバルスタディーズ学部運営委員会に出席。
19時:弟と歓談。
「名言との対話」1月30日。加藤寛「人生は修業の連続とよく言うが、世の中に無駄な仕事はない。どんな仕事もどんな経験でも必ずそこには自分に役立つ勉強が潜んでいる。だから、ただ働きを惜しんではいけない」
加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、日本の経済学者。
政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、嘉悦大学学長、千葉商科大学名誉学長、日本経済政策学会会長・日本計画行政学会会長・ソ連東欧学会代表理事・公共選択学会会長等を歴任。
第二次臨時行政調査会第四部会長としての国鉄分割民営化や、政府税制調査会会長として直間比率是正・間接税中心の税体系の導入等の日本の行財政改革を牽引した。また、小泉・竹中の郵政民営化や構造改革のブレーンとしても貢献している。
慶應の湘南藤沢キャンパス (SFC) 設立に当たっては中心的な役割を担い、総合政策学部学部長を務める。その後、千葉商科大学の学長を務めた。慶大教授時代の教え子は、橋本龍太郎、小泉純一郎、竹中平蔵など。教師としても偉大だった。
加藤寛は野田一夫先生の友人で、会話の中でよく登場していたし、政府委員として重要な政策のキーマンだったから、その姿はよく見かけている。
「ただ働きを惜しんではいけない」には賛成だ。苦手な仕事を含め、どんな仕事も自分を高める経験となる。そういう気概や心構えが後のミスター税調・加藤寛を形づくったことは容易に推察できる。