大学院入学式。

品川

・学長と懇談:新著「名経営者の言葉」を贈呈。寂しい。仙台。宮城大。JAL。ライフワークを深めて。

・理事長に新著「新・深・深知的生産の技術」(3月)「名経営者の言葉」(4月)

を贈呈。

・安田・金・バートル・杉田先生と懇談

・志賀先生:御礼

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大学院入学式

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学長:中年の危機。使命感と出会い。知の再武装。100歳人生。(図解学全書。JAPAN!プロジェクト。リレー講座のまとめ)

理事長:同窓会ネットワーク(多摩大「志塾会」)

・研究科長:豊かに生きる。本質、知の交差点、社会変革。(ココロの自由)

・同窓会長:人脈と縁。(同窓会ネットワークの充実)

・歓迎:インターゼミに参加。

新入生:20代の多いG大学院を9か月で辞めた。中年の危機。

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カフェで、バートル先生と坂西同窓会長と同窓会ネットワークの充実について意見交換

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今日の収穫

日経新聞190407

東京新聞190407

  • 坂村真民「病がまた一つの世界をひらいてくれた 桃咲く」
  • 第二の人生プロジェクト。人生経験、僧侶で生かす。無住寺院で地域貢献を。3割の寺院が無住寺院、住職には出家得度から最短で3年。途中坊主。人生100年。(久司宗浩)

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「名言との対話」4月7日。加藤廣「清貧でなく栄達でもない第三の道――意にかなわぬ人生よ、さらば!」

加藤 廣(かとう ひろし、1930年6月27日- 2018年4月7日)は、日本の作家。

文学部に学士入学して比較文学を学びたい。将来は島田謹二のような文芸評論家になりたいと野心はあった。そして「小さくてもいいから未知の分野」という考えで中小企業金融公庫に入る。児島直記や伊藤肇のビジネス書を熱中して読んでいて「天下国家を動かせるポストならともかく、こんなところで偉くなってもしょうがないやね」と腹をくくっていた。

1980年、「みっともない生き方はしたくなかった」「一度の人生であり時間がもったいない」として、独立を決行。有終の美をかざる。執筆、講演、コンサルタントとして生きていく決心だった。

それから25年、 2005年に75歳での高齢での作家デビューが話題となった。 小説『信長の棺』は日本経済新聞に連載されベストセラーとなった。小泉純一郎総理がぶら下がりで紹介した本だ。その後、二人は親しくなった。小泉総理は「75歳から、あれだけの作品を書けるというのは、すごい気力、体力、想像力」と偲んでいる。

当時私も興奮して読んだ。「父の葬儀での蛮行、桶狭間奇蹟の大勝の真実、秀吉の策略、光秀の策謀と朝廷の裏切り、安土城築城の真の目的、本能寺の信長の遺骸未発見の謎解き、、、、。「信長公記」という正規の信長の伝記の作者・太田牛一の目を通して、信長像を縦横に語っている。信長の事跡について、今までの常識に挑戦する、新しい解釈の連続で興味深く読める。著者は1930年生まれというから現在75歳。高齢での作家転向、その第一作。中小企業金融公庫や証券会社ででキャリアを磨き、経済書、経営書を多数書く人物。仕事の合間に、信長を長く深く研究した形跡がある。」とブログに書いている。加藤は東京の出身だからだろうか、薩長中心の「司馬史観」にはくみしない。この点は半藤一利と同じだ。山岡鉄舟小栗上野介を尊敬している。もう一つの明治維新があるのだ。

加藤はその後も大活躍している。『秀吉の枷』(2006年、日本経済新聞社 全2巻 / 2009年、文春文庫 全3巻)。『明智左馬助の恋』(2007年、日本経済新聞社 / 2010年、文春文庫 全2巻)。『安土城の幽霊-「信長の棺」異聞録』(2011年、文藝春秋 / 2013年、文春文庫)、外伝で短篇集。『神君家康の密書』(2011年、新潮社 / 2013年、新潮文庫)。『謎手本忠臣蔵』(2008年、新潮社 全2巻) のち新潮文庫 全3巻。『空白の桶狭間』(2009年、新潮社) のち新潮文庫 。『求天記-宮本武蔵正伝』(2010年、新潮社)、のち「宮本武蔵新潮文庫 全2巻 。『水軍遙かなり』(文藝春秋 2014年) のち文春文庫 全2巻。『信長の血脈』(文春文庫 2014年)。『利休の闇』(文藝春秋 2015年) のち文春文庫 。『秘録島原の乱』(新潮社 2018年)。

『昭和からの伝言』や、エッセイを読むと人生観がわかる。「清貧でなく栄達でもない第三の道――意にかなわぬ人生よ、さらば!」の中身は、同じ職場に長居は禁物、仕事は人生の一部と心得よ、老いて死ぬ道はかくあるべしなどである。公庫を辞めた50歳から、87歳で亡くなるまで37年間あった。加藤廣はその後半に大輪の花を咲かせた遅咲きの人である。

昭和からの伝言

昭和からの伝言