『渡部昇一一日一言』から。アラン、ヒルティ、野間清治、孔子、スマイルズ、セネカ、エマソン、幸田露伴、、。彼らの書いた本が「愛書」である。

渡部昇一一日一言』から、引用をピックアップ。渡部昇一が影響を受けた人がわかる。アラン。ヒルティ。野間清治孔子スマイルズセネカエマソン幸田露伴。、、、。、何度も出てくる人の書いた書が彼の「愛書」である。これらの愛書によって渡部昇一という人物が出来上がっている。

渡部昇一 一日一言 (知を磨き、運命を高める)

ロックフェラー「うんと稼ぎ、うんと貯め、うんと寄付せよ」

程子「聖人となろうとする志があって、しかるのちに志を同じくする人間と共に学べ」

王陽明「猫の鼠を狙うが如く、鶏が卵を覆うが如く」

ヴィクトル・ユーゴー「人間は力が不足しているのではなく、強い意志に欠けているのだ」

チャールズ・ダーウィン「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」

アラン「少し苦労して生きていくことはいいことである。生きていく上で波瀾があることはいいことである」「自分で幸福になろうと強く願わなければ、絶対に幸福にはなれないのである」

野間清治「工夫なき苦労は一文の値打ちもない」「渾然一体、誠実勤勉、縦横考慮」

セネカ「徳というものは強い意志と健全な意志によるものである」

幸田露伴「順に逆らえば仙に入る」「正、大、精、深」「すべてを自分のせいにする」

ヒルティ「一番良い財宝というものは、揺るがない道徳的な確信、良い精神的な教養、愛、誠実、仕事も能力、仕事の楽しみ、精神および肉体の健康、幸せな家庭、少数の友人、そしていささかの財産」

スノーデン「境遇が不満ならば改善するように努力しなければならない。それがどうにも変えられないものだたら、それに甘んじるように腹を決めなければならない」

司馬温公「妄語せざるより始む」

孔子「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」「邦に道なきときに栄えるのは恥であり、邦に道あるときに栄えないのも恥である」

サルトル「貨幣は私の力を表す」

ヒルティ「気が乗るか乗らないかは、仕事を始めれば自然に解決する」「迅速に仕上げられた仕事がもっともよくて、もっとも効果がある」「真面目になって本気で打ち込めば面白くなるのが仕事の本質である」「とにかくやる。すぐに始める・先延ばししない」

ラルフ・ワルド・エマソン「盲従ばかりしては何の説明にもならない。たったひとりで行動すれば、すでにひとりでしたことが、君を正当だと証明してくれる」

スマイルズ「人は誰でも、優れた人格を得ることを人生最大の目的とすべきである。正しい手段でそれを得ようと努力すれば、ますます生きる力がみなぎり、人生観も揺るぎないものとなるだろうう」「真の人格者の条件:模範的性格。道徳的価値。自尊心。名誉を重んじる心」

渋沢栄一「富貴必ずしも幸福ではなく、貧賤必ずしも不幸ではない」

易経「君子は豹変し、小人は革面す」

セネカ「親切を与えた人は黙るべし、受けた人は語るべし」「それを自然、宿命、運と呼べ、これらはすべて同一の神の名である」「少し所有する人が貧乏なのではなく、更に多くを欲する人が貧乏なのである」

程伊川「一夜君と共に語る、十年書を読むに勝る」

伊藤博文「不断にあらず、容易に談ぜざるのみ」

ホラティウス「各各の日を最後の日の夜明けだと信ぜよ」

船井幸雄「必ず成功するコンサルティングとは、成功しそうもない会社のコンサルティングはしないことである」

谷沢永一「学問の道で多少でも事を成した人は必ず良き師に恵まれている」

エマソン「偉大に人びとはいつも、自分が生きる時代の精神に子供のように身をまかせてきた」「精魂こめて自分の仕事に励み、最善を尽くし終えたときに、人間は安堵を感じ、明るい気分にもなる」「羨望は無知であり、模倣は自殺である」

アインシュタイン「長い苦しい努力なしに、ただの思いつきなどというものはないのです」

ベーコン「ある本はその味を試み、ある本は呑み込み、少数のある本はよく噛んで消化すべきである」

桂太郎「上位は常に空席である」

中村天風「寝がけは何も考えない方がいい」

岩崎弥太郎「怖いのは樽の底から一滴でも漏ることだ」

ハマトン「駝鳥みたいな知力と鷲みたいな知力。インテリジェンスとインテレクチュアル」

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「名言との対話(平成命日編)」5月10日。難波康子「やはりエヴェレストは大変である。登った人はどんな形にせよ尊敬する」

難波 康子(なんば やすこ、1949年2月7日 - 1996年5月11日)は日本登山家

 難波康子は1975年の田部井淳子に続き、21年後の日本人女性二人目のエベレスト登頂者であr。47歳での登頂は女性最高齢登頂記録である。

1980年 - モンブラン(4,810m)登頂。1982年1月1日 - キリマンジャロ(5,895m)登頂。1984年1月1日 - アコンカグア(6,960m)登頂。1985年7月1日 - マッキンリー(6,168m)登頂。1992年8月1日 - エルブルス(5,642m)登頂。1993年12月29日 - ヴィンソン・マシフ(4,892m)登頂。1994年11月12日 - カルステンツ・ピラミッド(4,884m)登頂。その集大成として1996年5月10日 にエベレスト(8,848m)登頂に成功した。それで七大大陸最高峰登頂が完成した。女性セブン・サミッタートなった。事前に難波は「6つ登ったから7つ目を登る」と淡々と述べていた。この快挙は日本でも大きく報道されたが、その直後に下山途中の悲報が伝えれた。

多くの著名登山家はスポンサーを獲得することで膨大な資金を調達し、登頂後にメディアへの露出を高めて、さらなるスポンサーを獲得し、次の大きな挑戦に繋げてきた。それに対し難波康子は費用のすべてを自分の収入から支払った。スポンサーをつけなかった難波康子はメディアへの露出が無く、他の登山家と比較するとまったくの無名な登山家であった。

遠征で長期休暇を取得する前には、同僚に負担をかけないように土日まで働いていた。トレーニングのために高層ビルの階段を駆け登ったり、自宅から2時間ほどで行ける丹沢大山を走って登ったり、ときには朝早く家を出て八ヶ岳を登り、その日のうちに帰ってくるなどということもやっていた。キャリアを中断させること無く、自身の収入と休暇だけで七大大陸最高峰登頂を成し遂げたという面では、新しいタイプの登山家であった。

難波は国際宅配のフェデラル・エクスプレスの人事部に所属するOLだったから苦労も多かった。遺品となったノートに女性がヒマラヤに挑戦する困難さを以下のように記している。働いていなければ資金が難しい。働いているとバケーションの問題。周りの理解。男性隊にまじった場合には登らせてやるという感じ。結婚・出産・子供の問題。、、。冒頭の言葉のように難題をクリヤーした女性登山家を尊敬したのだ。女性登山家の抱える難題の山はエヴェレストよりも高かったかもしれないことを想像させる。