知的生産のエネルギーは大借金だーー鹿島茂。渡部昇一。鈴木健二。和田秀樹。森永拓郎。

本日の日経夕刊「こころの玉手箱」で鹿島茂の記事を読んだ。明治大学教授のフランス文学者はこの3月で定年を迎えている。30歳で半年滞在したパリで、生涯のテーマは発見する。それは「パリ」であった。パリを深く広く研究した者がいない、手つかずの資料が山のように残っていたのだ。34歳で在外研究員としてパリにいたとき、パリ国立図書館の資料は「金さえあれば」買えることに気づく。バブル時代であり、借金を重ねたあげく、バブル崩壊で大借金が残った。書きまくるしかない生活が始まる。資料購入と本を書くいたちごっこが今まで続いてきた。鹿島は壮大な書庫を持っており、それを撮影用に貸し出している。それも稼ぐ手段だ。鹿島の膨大な知的生産のエネルギー源は、大借金であった。

渡部昇一 は、音楽家となった娘や息子の高額な楽器を買うために若い頃から借金生活だった。長女・眞子(ピアニスト)、長男・玄一(チェリスト)、次男・基一(ヴァイオリニスト)。70歳を過ぎて10万冊の書庫を建てて以降、著述に一層情熱を燃やすようになった。50代以降に様々な分野の本を出したが、出版数では70代が最多で「週刊渡部昇一」と呼ばれたほどだ。代表作は「知的生活の方法」。50年以上コンスタントに売れており総販売部数は累計で2400万部以上になる。定年前の65歳で上智大学を退職したのだが、それ以降の方が刊行数が多いのは驚きだ。手書きと口述筆記で量産している。 喜寿の77歳で2億円の借金をして巨大な書庫をつくり全蔵書を書棚に飾っている。180坪の土地と100坪の書庫と15万冊の蔵書。「インディペンデント」という言葉にこだわっているが、それは稼がなくても食えるという意味だ。「ブクログ」でユーザーが読んだ渡部昇一の844作品が件数の多い順に並んでいる。ここに載っていないものも含めると1000冊に迫るかもしれない。

「気くばりのすすめ」が大ベストセラーになった鈴木健二は、NHKの名アナウンサーとしての激務をこなしながら、出版社からの注文に応じて本を長い間継続的に出していた。この人は親を含む家族のために大きな家を建ててしまい、その借金返しのために猛烈に働いたと後にある本で多作の原因を説明していた。

「年収300万円時代を生き抜く経済学」で多くの読者を獲得した経済評論の森永卓郎のブログをみると日本全国各地に講演に歩いていて、講演の回数は尋常ではない。この人はミニカー蒐集を趣味としていて、最近は雑誌などでミニカーコレクションの前でにっこりしている姿を見ることが多くなった。森永の夢はミニカー博物館である。この博物館の建設資金をまかなうために本を書き、テレビに出て、講演を続けるのが最近までの毎日だった。

和田秀樹のベースは精神科医だが、受験技術や心理学関係の本も多い。この人の出版の量はすさまじく、ある年には年間50冊ほどの本を出版していて、確かある年1年間で最も多くの本を出している。和田秀樹監督作品「受験のシンデレラ」がモナコの映画祭で最優秀作品に選ばれたという。この人は映画をつくることが長年の夢であり、本を多量に出版していたのは映画づくりのための資金稼ぎだったという。

この人たちに共通しているのは、書きたい本を書き続けているのではなく、注文のあったテーマの本を出し続けているということである。それは多くの人に自分の考えを知ってもらいたいということもあるだろうが、本の出版に付随して入る印税などを自分が本来やりたかったことに使ったり、家族のために背負った借金の返済とする、そういったモチベーションに裏打ちされていたということだ。だからある時期、あるいは長い間にわたって猛烈に働いたいうことが本当の理由だろうか。

知的生産のエネルギーは、意外なことに、大借金であった。

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大学

・仕事

・「名言との対話」の 10月分の人選と本の注文。

・電話:中沢、三原。福島。

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「名言との対話」9月14日。杉田信夫「歴史を動かしてきた優れた個性を生き生きとよみがえらせる」

杉田信夫( 1921年9月8日〜2010年9月14日)は、出版人。ミネルヴァ書房の創業者。

ミネルヴァ書房の創業は1948年、設立1952年資本金1800万円。創業者は杉田信夫(雑誌『宝石』の岩谷書店の創業者である岩谷満の親戚で、元・岩谷書店社員)。人文社会科学の出版社。人文社会科学の学術専門書、教科書、一般書の出版を主要業務としている。

社名は、ヘーゲルの『法哲学』の序文にある「せまりくる黄昏れをまって、はじめて飛び立つミネルヴァふくろう」という言葉からとった。

ミネルヴァラテン語: Minerva)は、医学知恵商業製織工芸魔術を司るローマ神話の知恵の女神。フクロウはその使者である。知恵を司る女神としての側面から、ミネルウァ教育機関などで紋章に取り入れられたりしている。カリフォルニア大学バークレー校 - 中央図書館の正面入り口に、銅製の胸像が飾られている。米陸軍士官学校 の図書館に像が飾られている。カリフォルニア州 の州章にミネルウァが描かれている。

古い知恵の黄昏の中から、新しい知恵の到来を告げつつ、知恵の女神の使者が飛び立ってゆく。そのようにして、人類は歴史の中を前へ前へと進んでゆく、という解釈もあるが、実はそうではないらしい。哲学は現実の成熟のあとに遅れてやってくるものであり、現実が完成されてのちに、はじめて知の王国、哲学の王国が建設されるということをいおうとしているという。杉田信夫をも前者と思っていたが、後で実は後者であったとわかったという。このあたりは『わたしの旅路、杉田信夫(ミネルヴァ書店創業者の回想)』で確かめたい。

 

さて、この出版社では、創業55周年特別企画である、2003年に刊行が始まった日本史上の人物の評伝叢書である『ミネルヴァ日本評伝選』が知られている。刊行のことばは「歴史を動かすのは人間であり、… 人間の動きを通じて、世の移り変わりを考える」ことを主眼に「歴史を動かしてきた優れた個性を生き生きとよみがえらせる」ことを願って「ミネルヴァ日本評伝選」を企画したと述べている。古代から近現代に至るまでの幅広い分野の日本史上の人物を採り上げ、2010年9月現在の最新作の212冊目は「正岡子規」である。

私もこのシリーズは何冊か読んでいるが、こういう志の高いシリーズは、杉田信夫の創業の精神から出てくるものであろう。それが連綿と生き続けているのを感じる。出版という事業は確かに知恵の女神ミネルヴァの使者であるフクロウの役割を果たしている。ミネルヴァ書房という命名に込められた杉田信夫の意図がよくわかった。