「名言との対話」9月1日。若乃花「15尺の土俵。あの中にはなんでも落ちている。女房、金、ダイヤモンド、全てがある。全人生がある」
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初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、大相撲の横綱。
初代若乃花は、ライバル栃錦と名勝負を重ね、“栃若時代”を築いた。29歳での横綱昇進、超軽量の体格で心配されたが、ライバル栃錦と互角の名勝負を展開し「栃若時代」を築く。
引退後は二子山部屋を創設し、弟の大関・初代貴ノ花、横綱・2代若乃花、横綱・隆の里、大関・若嶋津らを育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。
弟の初代貴ノ花の初優勝時には、NHKの大相撲中継で解説を務めていた出羽錦は「嬉しさや最後の賜杯甥の手に」と詠んだ。 第65代横綱・貴乃花と第66代横綱・3代若乃花の二人は甥にあたる。
子供の頃、相撲の巡業が故郷の中津に来たことがある。横綱栃錦と横綱若乃花の熱戦を見て興奮して応援したことを思い出す。この時は若乃花が勝ったと記憶している。若乃花ファンだった私は、これ以降ますます若乃花を贔屓にした。
横綱になった稀勢の里は明治神宮奉納土俵入りを行ったが、その際に使った化粧まわしは「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花のものだった。
以下、若乃花語録から。
・「体の小さい力士っていうのは、ちょっとつまずいてくるとガタガタッといってしまう面がある。だから、悲しいけど、気力で持っていかなければならないんです」
・人間、目先の苦難に、決してうちひしがれてはいけない。
・人間はどんな状況のもとでもくじけずに、精いっぱい力を尽くせば、その努力が、いつの日か報われるもののようだ。
・優勝できたのは、稽古を一生懸命やったこと。それだけだ。
・土俵の掟は、まことに厳しく、冷酷であり、思えば砂にまみれ、血の涙を流す闘いの歳月であった。
・ライバルとは、、、単なる競争相手ではなく、自分自身の人生を支え、高めてくれる最高、最良の存在なのである。
・横綱が身を引く際には、立派な後継者に土俵を引き継がなければならない。
・「これはダメだな」と、いったん思いこんだら、力というものは本当に駄目になってしまう。
・人間はいつも望みを持って、精進、努力が肝要なのである。
・踏みしめる土俵は、私が命をかけた戦場であり、同時に「日本書紀」に史実として記されて以来、相撲道の伝統を千三百年余も守り、いまに伝える聖なる祭場である。
・力士の道とは、昔もいまも「稽古一筋に生きる」ことである。
青森武道館の「花田勝治展示コーナー」では、「土俵のけがは土俵の砂でなおしてゆくんですよ。けがをするたびに休んでいたんでは勝負師にはなれませんね」という言葉を見つけた。土俵の鬼・若乃花は、小さな土俵には人生の全てがつまっているという。冒頭の名言は、俵のけがを土俵の砂でなおしながら、すべてを掴み取った男の言葉である。