中津。
母の短歌の弟子たちとの昼食会。瑠璃京にて。
15時:中津南高校のPTA会長の細川さん(細川スーパー社長)、南高副会長、中津北高校のPTA会長との打ち合わせ。11月11日に行われる大分県PTA連合会が中津で開催される。そこでの基調講演を頼まれた。その顔合わせの会合。3人とも50歳前後。
「人生100年時代を迎え撃つ、アタマとココロの革命を!」というタイトルで話をすることになった。
その後、会場の中津文化会館で会場を見学し、確認。
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「名言との対話」9月2日。上甲正典「心が成長すれば、技術も成長する。心の成長なくして、技術の成長はありえない」
上甲 正典(じょうこう まさのり、1947年6月24日 - 2014年9月2日)は、高校野球の指導者。
上甲正典は高校野球の甲子園出場17回で、優勝2回(1988年春、2004年春)・準優勝2回(2004年夏、2013年春)という偉業を成し遂げた名将である。
1975年に母校・宇和島東高校のコーチとなり、2年後に監督就任。1987年の第69回全国高等学校野球選手権大会で甲子園初出場。翌年春の「選抜」で初出場初優勝。
その後、済美高校の野球部の創部とともに初代監督に就任した。2004年には福井優也投手らを擁し、創部2年目でセンバツ初出場初優勝に導く。春夏連覇に王手をかけたが、惜しくも準優勝。2013年には、愛媛大会で157キロをマークした2年生エース・安樂智大投手らを擁し、決勝まで勝ち進んだが、浦和学院に破れ準優勝。上甲の座右の銘は「夢が叶うまで挑戦」だった。67歳で没。戒名は「弄球院正岳秀典居士」。
「肉体の限界を精神力で乗り越える。武士道精神のような厳しさもまた高校野球だと思います」
ライバルで親友だった名門明徳義塾高校の馬渕史郎監督は、松井秀喜に対して5打席連続四球という采配で話題なった人だ。馬渕は「間違っていたとは思わない。あの時のチームではあれしか勝つ方法がなかった」と後に語っている。
今年の夏に100回を数えた高校野球は日本中が熱中する素晴らしい仕組みだ。心技体そろった高校生たちが全力でしのぎを削る姿には、毎年励まされる。高校野球はドラマの連続であるが、試合終了後の監督や選手のインタビューは記憶に残るものが多い。上甲正典監督の「心」と「技術」に関わる言葉は、「心技体」にも順番があるという考えを示している。心を成長させ、技を磨き、体を鍛える。高校野球は教育が主眼だとしていたこの人の心技体論は聞くに値する。