山口県:中原中也記念館(湯田温泉)。ザビエル堂(山口市)

中津から小倉、新山口経由で湯田温泉へ。

中原中也記念館。中原中也は、30歳で夭折。

小林秀雄大岡昇平長谷川泰子青山二郎。、、、。

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 井上馨を記念した井上公園。

 中原中也の詩碑。

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山口市。ザビエル記念堂。 

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 イグナチウス・ロヨラ(1491−1556。ザビエルの師。イエズス会創立者1506生まれ。1549年鹿児島到着。2年間日本滞在。46歳で没。)。フランシスコ・ザビエル。コメス・デ・トムレス(豊後で大友宗麟)。フェルナンデス・ジュアン(鹿児島に到着)。イムマン・ロレンソ(ザビエルが最初に受洗。盲目の琵琶法師。高山右近父子を受洗)。パウロ・ヤジロウ(日本最初のキリシタン)。

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名言との対話」9月5日。マザー・テレサ「私たちが修道院以外のところで食事をしないのは、貧しい人々への配慮なのです。水一杯いただきません。本当に何も」

 マザー・テレサ(Mother Teresa, 1910年8月26日 - 1997年9月5日)、あるいはコルカタの聖テレサ (Saint Teresa of Calcutta) は、カトリック教会修道女にして修道会神の愛の宣教者会」の創立者

マザー・テレサが亡くなった時、残っていたのは、着古したサリーとカーディガン、古びた手さげ袋と、すり切れたサンダルだけだった。すべてを貧しい人に捧げた人生だったことがわかる逸話である。この「貧しい人」とは物心両面の貧しさが含まれていた。長く続けた修道会「神の愛の宣教者会」の目覚しい活動に対して贈られた1979年のノーベル平和賞をはじめとした賞金は一銭残らず、貧しい人のために使い果たした。

最近亡くなった『置かれた場所で咲きなさい』を書いた渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)は、マザー・テレサの来日時に通訳を務めた縁で『マザー・テレサ 愛と祈りの言葉』の翻訳者となっている。

・仕事を祈りであるかのように続ければよいのです。

・大切なことは、、貧しい人々に奉仕している時、私たちは神に仕えているのだと確信していることなのです。

・最も大切な瞬間、死を迎える時に、愛されたと感じながら、この世を去ることができるためなら、何でもしたいと思っているのです。

マザー・テレサは宗教、民族、年齢、性別、地位等に関わりなく、必要とする人々に愛の手を差し伸べたいった87年の生涯を送った。そしてその影響を受けた後輩たちにその思想と行為が引き継がれている。

すべてを無報酬で行なっているこの修道会の人々は修道院以外のところで食事をしない。水一杯ももらわない。それは貧しい人々への配慮だった。最近行方不明の2歳児をわずか20分で発見して話題になった大分県日出町の尾畠春夫さんの態度と同じだ。この神の愛の宣教者会という修道会は大分県別府にもあるから、別府で鮮魚店をやっていた尾畠さんも、マザー・テレサの影響を受けていたのかも知れない。 

マザー・テレサの愛と祈り―み言葉を生きる52の黙想

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