東郷平八郎(東郷神社)--敵七分我三分と思う時が実際五分五分なり

 原宿で降りて、混雑する竹下通りを抜けかかると、東郷神社が右手にある。東郷記念館は現在では結婚式場になっている。東郷神社社務所でわずかに救国の英雄・東郷平八郎の資料などをみることができる。

東郷平八郎

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日1848年1月27日) - 昭和9年(1934年5月30日)は、日本の幕末から昭和時代初めの薩摩藩士、海軍軍人。最終階級元帥海軍大将日清戦争では「浪速艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により国内外で英雄視され、「陸の大山 海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれた。世界三大提督(ジョン・ポール・ジョーンズホレーショ・ネルソン東郷平八郎)の1人。各地の東郷神社に名を残す。

25歳、英国留学。32歳、帰国。57歳、連合艦隊司令長官。59歳、バルチック艦隊を撃破。68歳、東宮御学問所総裁。75歳、学問所閉鎖。77歳、関東大震災で自宅焼失。88歳、侯爵、死去、国葬多磨霊園に埋葬。

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以下、東郷神社で入手した『東郷平八郎小伝--至誠の栄光』から。

鹿児島の郷中教育。午前6時に家を出て習字の手習い。午前8時帰宅し朝食。友人の家に集合し論語などの漢文を習う、相撲・水泳。午後2時昼食、剣道の練習。夜は友人宅で軍書、伝記を読み合う。8歳の平八郎の日課だった。

以下、東郷平八郎の言葉を掲げる。

・うれしくも思いし今日になりにけり 明けくる日をば如何に学ばん(英国留学への決意。25歳)

・天佑を確信して連合艦隊の大成功をとげよ(ロシア艦隊の撃滅に向けて最初に発した命令。57歳)

・大敵を怖れず小敵を侮らず、、、  油断大敵。勝敗将に決せんとする祭には、実際勝戦なるに自ら苦戦と感ずること多し、故に我苦戦するときは敵はその数倍も苦める物と観念するを可なりとす。、、敵七分我三分と思う時が実際五分五分なり、、。積極の攻撃は最良の防御なり、、、戦術実施の要訣は己の欲せざる所を敵に施すと同時に、敵より施されざるに在り。、、常に先を制せざるべからず(戦闘実施の心構え。59歳)

・敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し

・勝敗は兵家の常であっって、必ずしも恥ずべきことではありません(勝利後、敵将ロジェストウィンスキー中将を見舞って)

・神明は唯平素の鍛錬に力め戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安んずる者より直に之をうばふ、古人曰く勝って兜の緒を締めよと」(連合艦隊解散の辞)

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米国のニミッツ大将と東郷元帥との関係。

・1905年、日露戦争凱旋観艦式にニミッツ少尉候補生。園遊会で東郷と短時間会談。心の師とする。

・1940年、東郷元帥の国葬儀礼艦「オーガスタ」の艦長はニミッツ大佐。

・太平洋戦争中、ニミッツ元帥が米国太平洋艦隊司令長官として、日本海軍に勝利。

・1976年、テキサス州ニミッツセンターに、日本庭園を寄贈。

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「名言との対話」9月23日。藤子・F・不二雄のび太は、私自身なんです」

藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお、本名:藤本 弘(ふじもと ひろし)、1933年昭和8年〉12月1日 - 1996年平成8年〉9月23日は、日本漫画家脚本家

小学校5年のとき、安孫子素雄と出会い、合作で漫画を描き始める。“藤子不二雄”としてコンビを組み、数多くの作品を発表。児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。代表作は『ドラえもん』『パーマン』『キテレツ大百科』『エスパー魔美』『21エモン』など。氏名の間にある「F」は本名「藤本(フジモト)」の頭文字。

以下、語録。

・物を作るというのは、その人の個性を100パーセント発揮させないとうまくいかないんです。(創造者には規制をかけてはいけない)

・ぼくのアイディアメモには、ちょっとした思いつきが、そのまま書き留めてあります。ぼくは、それを”タネ”とよんでいます。(メモの習慣が成功につながる)

・本当に普通の人であったのでは、漫画なんてものは描けません。プラスアルファ――なにか自分だけの世界を、ひとつは持っているべきである。 それは、必ずしもまんがに直結したものでなくてもいいのです。釣りが上手であるとか、模型作りに熱中するとか、SF小説を読みあさるとか。そういったことが、その人の奥行きになって、至極ありふれたものにプラスして、何か個性みたいなものが生まれてくるんじゃないか、と思うのです。(二刀流で生きよう)

・漫画を描くということは、一言でいえば「再生産」ということになります。かつてあった文化遺産の再生を、漫画という形でおこなっているのが「漫画家」なのです。(あらゆる文化遺産を新しい形で表現しよう)

面白い漫画を描くコツは、まず作者自身にとっておもしろい作品をかくことです。(自分が興奮する作品でなければ相手を感動させられない)

「漫画」というものを分解してみると、結局は小さな断片の寄せ集めなのです。(百説!)

超人気漫画「ドラエモン」は、子育ての最中に一緒によくみた。主役ののび太は、勉強は駄目、スポーツも駄目、何をやらせても冴えない少年。明るい性格でゆとりがあり、温厚で優しく、他人を深く思いやる心を持っている。臆病者だが正義感は強く、誰かを助けるために勇気を振り絞って危険に立ち向かうことも多い。他人の幸せを共に喜び、他人の不幸を共に悲しむことができる。人を疑うことを知らない純粋無垢な性格。極めて意志薄弱な怠け者。都合が悪くなると、すぐ他者(主にドラえもん)に頼る。大の勉強嫌いであり、自主的には予習・復習・宿題はまずしない。授業中に居眠りや遅刻、宿題忘れ。嫌なこと、重要なこともすぐ忘れてしまう。 言い訳や屁理屈は異常に上手い。異常に臆病。運動能力は極めて低い。成績はビリから二番。、、、

しかし、藤子・F・不二雄は、「のび太にも良いところが一つだけある。それは彼は反省するんです。、、、、いつまでもいつまでも今より良い人間になろうと努力するんです」とのび太の長所をあげている。そして「のび太は、私自身なんです」と語る。自分自身がのび太のキャラクターだから、ネタは無限にあることになる。毎日、自分を描いていたわけだ。そういえば、人気マンガ「のらくろ」の作者・田河水泡が、義兄の小林秀雄に「のらくろは、実は俺のことだ」と言って感動させたというエピソードを思い出した。「まんがに限らず何か創作する人というのは、自分の中に何かを表現したい、自分以外の人に向かって訴えたいものを自分の中に持っているかどうかが一番大切なことだと思うんです」と藤子は語る。訴えるものがなければ、表現者にはなれないということなのだ。藤子はどうしようもない自分だが、より良い自分になろうとする自分を描こうとしたのだろう。それが子どもたちの心にヒットしたのである。