清川泰次記念ギャラリー「具象から抽象へのあゆみ」展。
洋画家・立体作家の自宅兼アトリエが、市民向けのギャラリーになっている。2019年は清川の生誕100年。1949年、30歳から世田谷成城に住む。32-35歳、渡米。ヨーロッパ、エジプト、ギリシャ、インド、ブルマ、タイ等を経て帰国。38歳、美術文化協会を退会、以後個展主義を貫く。44歳から3年間、」アメリカで制作生活。51歳、世界一周旅行。56歳、紺綬褒章。60年の画業。慶應経済に入るが、独学で油絵を学び、卒業後は画家になる。しだいに抽象画へ。
写真にも関心があり、立体写真も手がけた。1954年にはパリに藤田嗣治を訪ねている。1995年には静岡県御前崎に清川泰司美術館が開館、76歳。2000年、81歳で死去。2003年、清川泰司記念ギャラリー(世田谷美術館分館)開館。
平面(絵画)にしても立体(彫刻)にしても、索引はいつも型と色と線の新しいコンビネーションの創り出す美を求めて制作を進める。
・愛読書は朝比奈宗玄訳注の岩波文庫「臨在録」。
・自由。自由な作品にはすがすがしい。不自由な作品には品格がない。品格なき作品は、いつも何か「もの」にとらわれている。
・無対象純粋芸術
・芸術家とは、時代感覚を全身で受けとめ、自分自身の仕事を自分で掘り下げて、絶えず斬新な作品を生み出して進む人のことだ。
・発想は昼夜いつ湧いてくるか解らない。デッサン帳にすぐメモする。構図ののみでなく色も色鉛筆で付けておく。
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午前前半:「名言の暦」の再チェックを終了。収穫「記念館。センテナリアン。遅咲き。独学」
・人物記念館:渥美俊一記念館(東京渋谷)。布川文庫(東京・国立国会図書館)。田園ホール・エローラ(埼玉県松代市。芥川野也寸志)。日本シャンソン館(群馬県渋川市)。藤子・F・不二雄ミュージアム(神奈川県川崎市)加藤楸邨記念館(山梨県北杜市)。熊井啓記念館(長野県安曇野市)。西丸震哉記念館(長野県大町)。草柳太蔵コーナー(静岡県立図書館)。小島電機文学館・伝記図書館(静岡県裾野市)豊田市美術館・高橋節郎館(愛知県豊田市)。大阪市立東洋磁器美術館(安宅コレクション)。大原富枝文学館(高知県)。村田英雄記念館(佐賀県唐津市)。山本直純音楽記念室(種子島郷土資料館)
・センテナリアン:木村二郎右衛門116歳。長谷川チヨノ114歳。木村庄之104歳。岩谷直治102歳。三輪寿雪102歳。奥ムメヲ101歳。日高六郎101歳。安藤太郎100歳、進藤兼人100歳。
・遅咲き:蜷川幸雄。真藤兼人。三輪寿雪。
・独学:半村良。
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午前後半:「東京あそびマーレ」で遊ぶ。 1年中、雪遊びができるアトラクションなど、バラエティ豊富な体験型の遊戯施設を備えた全天候型室内遊園地で、面積は約6,700㎡と日本最大級の室内親子遊園地。
最大の目玉は日本初登場となる雪のテーマパーク「スノータウン」。体感温度約18~20℃という快適な空間で 、プレイグラウンドでの雪遊びやそり滑りなど“365日雪が降る世界”が楽しめる。1周約240mの「室内ミニエクスプレス電車」や、電動ゴーカート、カラフルなクルマに乗ってボール投げゲームを楽しむ「ボールシュート」、さまざまなエアー遊具を揃えた「ふわふわランド」、本場・香川県のうどん作りを体験できる「親子うどん教室」など、実際に体験・体感できるあそびを中心に、大小20以上のアトラクションが楽める。
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アマゾンに「名経営者の言葉」の書評。
日々経営幹部から現場末端の隅すみずみまでその理念を行きわたらせ、そこで働く人すべてがその経営理念(言葉)によって仕事をすることがもっとも大切である。聖書に「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあり」とあり、また日本には大和言葉として言葉にすることが事として実現する言霊思想がある。それほど日本でも欧米諸国でも言葉は大切である。
その経営理念から名経営者が残した心の技法・行動の原則を現した言葉は、珠玉の言の葉である。例えば、企業国家の再建の土光敏夫の「仕事の報酬は仕事である。」、伊藤忠商事社長の越後正一の「成功の窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る。」、三菱鉱業セメント社長大槻文平の「経営者の責務は働く者の生活に責任を持ち、会社を立派に育て、それを次の後輩に渡していくことにある。」。これらの言葉は、現在のサラリーマン社長が忘れた言葉であり、如何に責任転嫁して常にお客様や従業員のためでなく上長の顔色を窺って仕事をして社長になった人は、この言葉は体に染みついていない。特にベンチャー企業の社長や、大企業でのオーナー社長が異口同音に言うことである。岩田弐夫の「平穏の凡を重ねよ、いつかは非凡になる。」等々まだまだすばらしい言葉がある。最後に船井総研創業者船井幸雄の「愚痴るな、嘆くな、舌打ちするな」「長所を磨きに磨くんです。」「朝早く來る人間は、成長しますよ。」「マクロに大局をつかみ、ミクロに行動しなさい」等々リーダー・管理職・新入社員迄役にたつ言葉満載です。働く人の座右の銘として一家に一冊用意することをお勧めします。
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「名言との対話」5月4日。茅野亮「過去は善、明日はよい事があると思っているから、くよくよしない」
「すかいらーく」は長野県出身の4人の兄弟、横川端、茅野亮、横川竟、横川紀夫が創立した。1970年に
府中市の
甲州街道沿いで
すかいらーく国立店を開設したのを皮切りに、
国分寺、八王子、調布と三多摩地区に次々と店舗を拡大し、全国展開。「
すかいらーく」を中核としてコーヒーの「ジョナサン」、中華の「バーミヤン」、和食の「藍屋」など多様なニーズに外食チェーンを外食産業を育てていく。1993年にはグループで1000店舗出店を達成。創業から39年間、社長として陣頭指揮を執り、それまで飲食業と呼ばれていたレストラン業界を「外食産業」に発展させた。
兄弟4人での事業はうまくいくものだろうか。この問いに対して、長兄・横川端の長男・横川潤(
文教大学国際学部国際観光学科教授)は次のように分析している。
端氏「兄弟をまとめ、客観的に物事を判断する力はすごいと思います」。
亮氏「典型的な
アントレプレナー(起業家)」。
竟氏「傑出したコミュニケーション能力、一種の天才」。
紀夫氏「職人的、芸術家肌というべきか、物事を生み出すア
イデアがすごい人」。このコンビネーションが上手く機能したのだ。
宮城大学のある仙台の泉パークタウンに
すかいらーくが開店した時、野田一夫学長の友人の横川端氏を招いて講義をしてもらい、
すかいらーくに学生も含め招待してもらったことがある。
兄弟で一番ハングリーでやり手だった茅野亮は、創業以来40年近く社長をつとめたのだが、
バブル崩壊後の長い低迷期には「すかいらーく」から低価格路線の「ガスト」への業態転換を余儀なくされて、2006年には業績の悪化のためファンドに買収され、兄弟はいっせいに身をひいている。
「我々のように後ろがないと、先送りすると崖から落ちてしまいます。だから必死です。ひたすらお客さんに受け入れられる提案をし続けるだけなのです」「世の中の流れをよく見て対応しているだけです」と語っていた茅野亮にしても、時代の激流についていけなかった。成功体験は諸刃の剣だ。この横川兄弟の成功と失敗の物語は、起業した企業が成功し続けることがいかに難しいかを示している。もっといえば企業の永続がいかに困難な課題であるかを示している。明日は善い事も悪いことも起きるのである。