『ラ・ロシュフコー箴言集』

田中角栄という傑物と日本の政治のど真ん中で一緒に戦ってきた秘書の早坂茂三。体験から生まれた深い人間観察は、「世間に媚びを売らず、背伸びせず、自分を深く耕して一芸を身につけ、淡々とわが道を進む」との人生観を生んだ。その早坂が勧める『ラ・ロシュフコー箴言集』(岩波文庫)を読了した。 

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

 

 「まえがき」に相当する文章の中で、物欲、栄誉や名声に対する欲にまみれた世の中、そして「罪によって損なわれた本性という、嘆かわしい状態にある人間を考察した」と書いているとおり、辛辣で皮肉的で、あくの強い刺激的な箴言が並んでいる。あらゆる表面的な美徳を打ち砕く力があり、こういうものに早坂が惹かれたというところに、政界のすさまじさをみる思いがした。

以下、箴言から。

・心中得意になることが全くなければ、人はほとんど何の楽しみもなくなるだろう。

・能を隠す術を心得ることこそ大いなる能である。

・われわれに感嘆する人びとを、われわれは必ず愛する。そしてれわれわれが感嘆する人びとを、われわれは必ずしも愛さない。

・弱い人間は率直になれない。

・書物よりも人間を研究することがいっそう必要である。

・賢者は征服するよりも深入りしないことを得策とする。

・老人たる術を心得ている人はめったにいない。

・自分のうちに安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である。

 この本では「気質」に関する箴言が目についた。

・運営によってわれわれに起きるすべてのことに、われわれの気質が値段をつける。

・人間の幸不幸は、運命に左右されると共に、それに劣らずその人の気質に左右される。

・運と気質が世を支配する。

ラ・ロシュフコー本人は自分の気質である憂鬱質について語っている。外からくる憂鬱。気おくれ。優柔不断。なかなか打ち解けない性格。憂鬱質によって損なわれた気質の持ち主である。その彼ゆえの観察に基づいた真実の見方だろう。

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・連休明けなので、秘書とじっくりとスケジュールあわせ。そして出版物の準備。

・杉田副学長から、インターゼミの授業評価の褒章状をいただく。1年生の質がいい。

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 「名言との対話」5月8日。捧賢一「開業の初心忘るなと春一番雪のなか白梅の咲く」

捧 賢一(ささげ けんいち、1933年6月24日 - 2018年5月8日)は、日本の実業家株式会社コメリ創業者。

新潟県三条市に生まれる。農林高校卒業後、実家の米穀店に就職。1952年、米利商店を創業。1976年、アメリカでホームセンターを視察後、ホームセンターに業態を転換する。1979年 - 株式会社コメリ代表取締役社長に就任。

新潟県三条市は日本一の金物の産地で農業の盛んな地域.であり、開業時より、金物や工具、園芸、植物、農業資材などを主力に扱っている。人様の物真似でなく、お客さんの声を聞き新しい業態となった「ハード&グリーン」はお客さんの2から3割が農家で、農村地帯では7から8割だ。食は生命と深くかかわっており、農業は決してなくならないとし。長靴、短管パイプ、セメント、灯油、、、などを販売し支持を得ている。「小売業はあくまで、お客さんの支持により生かされている存在で、結局は、世の中に必要とされているかどうかだ」とし、コメリは独自の戦略を貫いた。首都圏では馴染みがないが、コメリは妻の実家の群馬県館林の農村地区でも見かけたことがある。

 競争は世の常なれどきびしかり学びし老舗の廃墟むなしき

 入社式コメリの夢を語らえば新入社員の瞳かがやく

労働分配率総資本経常利益率を大事にし、社長在任中は増収増益を続けた。ホームセンターの市場規模は4兆円、それに農業関係の資材をくわえると9兆円の規模になる。「近さ、安さ、品揃え」を見据え、「船団方式」による出店戦略だ。低価格と圧倒的な品揃えの「パワー」を中心市街地に、近さと買いやすさ等の利便性を追求する「ハード&グリーン」を小商圏で埋め尽くし、インテリア用品の専門店「アテーナ」、資材・建 材・工具・金物の専門店「PRO」も展開する。2019年3月期には、営業収益3468億6300万円、経常利益182億3700万円まで、業容が発展している。

2003年に会長になり、地域での文化活動に注力した。地元の八幡宮再建の先頭に立つ一方で、雪梁舎美術館を創設する。ショッピングセンターを計画した際、その土地が地元の大庄屋が祖先を祀ってきた場所であることが分かる。また越後七不思議の一つ焼鮒(やきふな)の伝説が残っていた。ふるさとの財産ともいうべき大切な地に、地元の美術振興を願って美術館設立の構想を推進した。そして若手芸術家の育成を支援するなど、地域における経済、文化の基盤づくりを支えてきた。

捧賢一は「お世話になった市民の皆様やお客様にご恩返しをしていく」と繰り返し話していたので、没後に家族は、子どもたちのスポーツ環境の整備とし、時代を担う子どもたちの健全な育成に寄与したいということで2億円を寄付している。 市長は、遺志にこたえて「三条市コメリ捧賢一記念少年スポーツ育成基金」を創設している。

「初心忘るべからず」は、事業発展の大事な考え方だ。一方で、若いときには、商売に気乗りしなかった二十代にはうたごえ運動などに参加するなど、仕事よりも社会運動に精を出していた。そういった気質は、晩年の地域における優れた文化活動につながっている。ここにも初心を忘れない捧賢一の姿がある。