国立西洋美術館「林忠正」展ーー「たゆたえども沈まず―って、知ってるか」「激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる」「それこそが、パリなのだ」

4月10日に上野の 国立西洋美術館林忠正」展を訪問した。

林忠正(1835-1906)は初の日本人の西洋画美術商。松方幸次郎の25年前に日本での西洋美術館を夢見た人である。1883年から「芸術の日本」誌を3年間刊行。ルノアールは200点以上収集。1900年のパリ万博では日本側事務官長。ドガ、モネ、ピサロ、モリゾらと交友。帰国にあたり25年かけて収集した5000点以上を売り立て。500-600点を持ち帰りニューヨークで165点を売る。ルノアールの版画と素描を東京帝室美術館に寄贈。

戦前には浮世絵を外国に売り飛ばしたと「国賊」と呼ばれるなど評価が低かったのだが、孫の妻である木木康子が書いた『林忠正とその時代』で復権を果たしている。この日はたまたま林忠正の命日だった。

 2017年1月14日にすみだ北斎美術館北斎の帰還」展を見たときに、林忠正の名前があったことを記憶している。展示の目玉は「隅田川両岸景色図巻」だった。幻の絵巻といわれているように、7メートルを超える最長サイズの肉筆画だ。両国橋から吾妻橋、三谷掘、木母寺あたりまでの隅田川両岸のみずみずしい風景と新吉原における男女の遊興の様子は見応がある。確かに名品だ。北斎46歳ごろの作品である。

1892年(明治25年)までは衆議院議員北斎肉筆画収集家の本間耕曹(山形酒田の本間家出身(1841-1909)が所有していた。11月に上野で開催された「古代浮世絵展」に出品された。その直後にフランスで活躍した美術貿易商・林忠正の手に渡った。1902年に競売にかけられた。

2008年にロンドンで開催されたオークションで106年ぶりに姿を現し、墨田区が所得したものである。富嶽三十六景もいいが、この作品は名所と江戸時代の人々の生活風景がわかり、とてもいい。

アート小説を書く原田マハは、『たゆたえども沈まず』の中で、才気と孤高の人林忠正に、「たゆたえども沈まず―って、知ってるか」「激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる」「それこそが、パリなのだ」と語らせている。この小説も読もう。

 

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・早朝はヨガ

・知研フォーラムの連載原稿準備:独学の人でまとめるか。

・「天皇のお言葉」のコピー:神武天皇から江戸時代まで。

・午後はジムでひと汗。

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「名言との対話」5月7日。山本健吉「他人の座敷でのみ自分の精神生活を送るということの中に、批評家の宿命的な屈辱はあるのだ」

山本 健吉(やまもと けんきち、1907年明治40年)4月26日 - 1988年昭和63年)5月7日)は、文芸評論家

1931年、慶應義塾大学国文科卒業。1933年、改造社に入社。1934年、雑誌『俳句研究』の編集を機に俳句批評に手を染める。芭蕉俳諧の立場から独自の批評的世界を樹立した。 1939年、吉田健一中村光夫らと評論誌『批評』を創刊し、私小説を論じる。「第三の新人」という用語を最初に用いた人物だ。

「島根新聞」勤務。「京都日日新聞」文化部長。1948年から角川書店の編集長をつとめる。1967年~1978年、明治大学教授。1969年日本芸術院会員に就任。1972年より日本文藝家協会理事長、のち会長となる。1983年、文化勲章

主著に『私小説作家論』『純粋俳句』『古典と現代文学』『柿本人麻呂覚書』『正宗白鳥』『句歌歳時記』『猿の腰かけ』などがある。

週刊新潮の「句歌歳時記」というコラムは30年という長い連載となった。これは短歌二首、俳句四首をあげて論ずるもので小さな囲み記事だった。『句歌歳時記』は畢生の労作だ。古典の名歌・秀句から現代作品までを、簡潔自在に評す文章で説明した。日本の四季折々の風物と人々の息づかいは聞こえてくる作品である。人と自然が融合調和した暮らしの中から生まれ、日本の美しい風物と人人の息づかいが刻みこまれた伝統の世界―。誰もが知っている古典の名歌・秀句から、生まれたばかりの現代作品までを幅広く網羅し、初心者にも分かりやすい簡潔自在な鑑賞文を付す。

1983年には歳時記を編み続けたという業績に対し文化勲章を受賞している。 1995年、 文芸評論家であった父・石橋忍月の出身地八女市立図書館に遺品を集めた山本健吉・夢中落花文庫が開設された。

山本自身も俳句を詠む。「こぶし咲く昨日の今日となりしかな」「水打つて紫陽花に暫し佇みぬ」「水打つて紫陽花に暫し佇みぬ」「掃き溜めてそのまゝ措きし落葉かな」「掃き溜めてそのまゝ措きし落葉かな」などの句がある。

評論家と著名な作家の対談を読んだことがあるが、ほとんどは作家の土俵の中で対峙しているという印象を持った。欠陥は言うことができるが、感動には絶句するよりない。それを山本健吉は「本当の批評家魂は千万言を費やして相手の欠陥を数え立てる時にでなく、感動のあまり絶句する時に現われる」と語っている。

美術評論、映画評論、庭園評論、技術評論、野球評論、政治評論、競馬評論、自動車評論、航空評論、経済評論、漫画評論、教育評論、音楽評論、スポーツ評論、育児評論、演劇評論、、、など評論の分野は無数にある。ある講演会で佐高信が辛口評論家と紹介されたときに、甘口評論家など何になるか、評論とは辛口に決まっているという趣旨の発言を聞いて快哉を叫んだことがる。そのでんでいうと、感動する部分は絶句し、欠陥を言い立てるのは正しい姿ということになる。「評論家に銅像が立ったことがあるか」という名言を吐いた作曲家もいたことも記憶にある。山本健吉は、他人の座敷でのみ自分の精神生活を送る批評家、特に文芸批評家の屈辱を語っているし、「評論するか、実行するか」という問いも重いけれども、価値・善悪・優劣などを論じる評論家は、その分野を楽しむ人々にとってはなくてはならないものでもある。評論家は劣等感に裏打ちされた優越感で仕事をするという微妙な立ち位置にあるのだろう。