「後ろ姿探検隊」というテーマで撮った写真をインスタグラムに載せるという習慣を持っている。インスタグラムに馴染むために今年から始めたのだが、今日はいくつか気に入ったシーンが撮れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」9月14日。高山辰雄「何をするのでも、100年や200年じゃ達成できない。未完成というのも正しい在り方かな」。
高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月26日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本画家。大分市出身。
東京美術学校(東京芸大)の卒業制作「砂丘」ではセーラー服姿の女性がモデルとなった。この砂丘は房総半島の御宿の砂丘である。この女性と高山は結婚している。若い頃、東京大空襲の惨状を体験する。「何もかもが焼き尽くされた風景を見て、心が奮い立った」。ゼロからやっていくという気概、ファイトが生まれた。高山は松岡映丘、ゴーギャン、セザンヌなどに影響を受けている。
1975年から1977年まで日展理事長。1979年文化功労者。1982年、70歳の時に文化勲章を受章。1983年に大分市名誉市民、1987年に世田谷区名誉区民。1987年から1999年まで「文藝春秋」表紙絵を担当した。
全国各地の美術館を巡っていると、高山辰雄という大分県出身の画家の名前や絵が目に入る。2008年に、東京駅大丸で開催されている「水野コレクション 近代日本画 美の系譜 横山大観から高山辰雄まで」という企画展では「牡丹」「里」「朝凪の浜」などの絵を観た。2016年に読んだ福岡伸一「芸術と科学のあいだ」(木楽舎)にも、高山辰雄「牡丹 洛陽の朝」という作品がが出てくる。
一つ上の日野原重明がインタビュアーの『100歳が聞く100歳の話』(実業之日本社)を読むことで、今回やっとこの人の人生を追いかけることができた。
「言葉と違い、音楽は直に血液に入ってくる」。絵や文字と違って理屈抜きで感じさせる音楽の力は凄いという。ベートーベンは特にいい。美しい、悩みがある、苦しみがある、絶望がある、希望がある、命の輝きがある、そしてすべてがある、という。また、高山画伯は、画室でこまごましたことでも、手伝ってもらわずに、すべて自分でやる。それが健康のもとだ。
この本には科学と芸術についての二人の対話がある。科学は進歩を目指し、芸術は人間の根源に迫る。「何をするのでも、100年や200年じゃ達成できない。未完成というのも正しい在り方かな」。科学も未完成、そして芸術も未完成だ。完成に向けて、悔いのないように、力の限り、ひたすらやり続けるという決意が述べられていた。高山辰雄はそれを95歳まで実行した。大いなる未完成の人である。
参考『100歳が聞く100歳の話』(実業之日本社)。