世田谷文学館で開催中の写真家・大竹英洋「ノースウッズを旅する」写真展ーー 「梅棹忠夫・山と探検文学賞」を発見

世田谷文学館で開催中の写真家・大竹英洋「ノースウッズを旅する」写真展をみた。

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 大竹 英洋(おおたけ ひでひろ、1975年 - )は、日本自然写真家。北アメリカ大陸ノースウッズ地域をフィールドとする。

 1999年一橋大学社会学部卒業。一橋大学ワンダーフォーゲル部出身。大学卒業後、ジム・ブランデンバーグ英語版に弟子入りしようと北アメリカ大陸ノースウッズに訪れ、以降同地で撮影活動を行う。ナショナルジオグラフィックなどで作品を発表。

そして、ぼくは旅に出た』(あすなろ書房で第7回「梅棹忠夫・山と探検文学賞」を受賞した。素直でしなやかな感性と、情景が浮かび上がるような静謐で新鮮な文体が調和」している作品だ。2018年、日経ナショナル・ジオグラフィック写真展ネイチャー部門最優秀賞。

「自分の足で歩き、自分の目で確かめたかったからです。記録性にすぐれたカメラという道具をつかえば、自分がみつけたこと、感じたことを、その場にいなかった人々にも共有できるのではないか」

 「梅棹忠夫・山と探検文学賞」を発見したのが、収穫だった。山と渓谷社信濃毎日新聞、書店「平安堂」が、2009年に梅棹が山と渓谷社から出した『山をたのしむ』がきっかけとなって設立した。http://umesao-tadao.org/index.html

 梅棹忠夫は「本賞の創設がきっかけとなって、登山や探検活動がさかんになり、おおくの人びとの心に「未知への探求」の火が燃えさかることをねがっております」と2010年5月の日付でメッセージを送っている。それから間もなく、梅棹は7月3日に老衰で亡くなったなら、「未知への探求」は最後のメッセージだったであろう。

以下、「梅棹賞」の受賞者と受賞作品。中村哲「天、共にあり」、大竹英洋「そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森ノースウッズ」(あすなろ書房)、佐藤優「十五の夏」は読みたい。

第1回:角幡唯介「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」(集英社)、

第2回:中村保「最後の辺境 チベットのアルプス』(東京新聞

第3回:高野秀行「謎の独立国家 ソマリランド」(本の雑誌社

第4回:中村哲「天、共にあり」(NHK出版)

第5回:服部文祥ツンドラ・サバイバル」(みすず書房

第6回:中村逸郎「シベリア最深紀行」(岩波書店

第7回:大竹英洋「そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森ノースウッズ」(あすなろ書房

第8回:佐藤優「十五の夏」(幻冬舎

第9回:萩田泰永「考える脚」(KADOKAWA)

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「名言との対話」6月17日。松下竜一。2016年。「だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ。」

松下竜一(まつした りゅういち、1937年昭和12年)2月15日 - 2004年平成16年)6月17日 )は、日本小説家歌人大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。

作家・松下竜一は、1937年に生まれ、2004年に亡くなった。私の出身高校の先輩にあたるが、成績は一番だった。しかし大学進学を母の急死であきらめ家業の豆腐屋を継いだ。その日々を文章と短歌で綴った『豆腐屋の四季』という本は話題になり、連続テレビドラマになった。このときの主役が同じ歳の緒方拳だ。顔が似ているこの名優の演技で『豆腐屋の四季』と松下竜一は世に知られることになった。「我が愛を告げんには未だ推さなきか君は鈴鳴る小鋏つかう」は妻の洋子さんに贈った歌だ。

豆腐屋を廃業し33歳で作家となった。1973年から火力発電所建設への反対運動に取り組んだ。後に「ルイズ−−父に貰いし名は」で講談社ノンフィクション賞を受賞した。この人の書いた「疾風の人」で中津の増田宋太郎を描いたが、この小説を読んだことがある。2004年に亡くなったときには市をあげて偲ぶ会などが開催されて、遠方からも多くの作家などが駆けつけたと聞いている。40冊以上の本を書いて、生前に「松下竜一 その仕事」30巻が河出書房新社から出ている。松下さんのことはいろいりな人から聞いていたが、残念ながら会う機会はなかった。

ラジカルに、つまり根本から、文明のあり方を問うたこの松下竜一の言葉は重い。

以上は、2016年の「名言との対話」の文章だ。私のブログから。

郷里の出身高校(大分県立中津北高校)の図書館には松下竜一コーナーがある。2009年に同窓会長の内尾伸行君(同級生)経由でわたしの今までの著作の大半を寄贈したところ、図書館に「寄贈図書」というコーナーが設けられ、「同窓生コーナー」を設定し、「久恒啓一コーナー」を並べようということになった。

 2017年6月2日、中津市立小幡記念図書館に「郷土の作家資料室」がオープンした。中心になるのは、『豆腐屋の四季』などで有名な松下竜一の資料だが、私も郷土の作家の一人に加えていただいた。他には巴里夫氏、藤田傳氏小野不由美氏の作品が展示されている。「資料の中心は、『豆腐屋の四季』等で知られる、同市を代表する作家、松下竜一氏の自宅が2016年12月に取り壊された際に、自宅にあった旧蔵書約4,000冊の中から、図書館に寄贈された、特に重要な612冊です。その他、松下氏のファンの家族からの寄贈本120冊」。

2004年に亡くなったときには市をあげて偲ぶ会などが開催されて、遠方からも多くの作家などが駆けつけたと聞いている。後に作家の佐高信さんと一緒になったとき、松下の話をしたら、その会に出たと語っていた。私の母も参加していたと聞いた。

本日(2020年6月17日)の大分合同新聞のコラム「東西南北」には、「執筆の立ち位置は巨大な力に抵抗する人々の側にある」、「真正面から社会に向き合った作家との評価とともに、こよなく古里を愛した人間像も浮かぶ」として、中津の小祝地区のことを話題にしている。名著『豆腐屋の四季』には、「汐の香の霧に沈める小祝島音無き明けを豆腐うりゆく」などの短歌も交えて、家業の豆腐屋の日々が生き生きと記されている。

私の高校同級生で、長く市議会議員をつとめた須賀るみ子さんは、松下竜一との出会いで、人生の方向が定まったといつも語っている。松下の系譜をつなぐ市民派議員の流れには、須賀さんの娘のかな子さんも登場し、活躍を始めている。松下竜一の「志」の松明は引き継がれてゆくだろう。肉体は滅んでも、その精神は生き続ける。