朝の散歩中。カルガモの親が、その子ども達たちに泳ぎを教えている。感動してカメラを向ける人たち。彼らと同じ心境になってスマホで一枚。いいものをみた。
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大学
・授業準備:学部と大学院。
・多摩大総研の定例ミーティング
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NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史ーー田中角栄」1・2・3。保阪正康さんの解説で、池田弥三郎慶応教授の田中角栄総理インタビュー。保坂によれば総理61人の中で、田中総理の評価は「A’」だった。
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「名言との対話」7月16日。井植歳男「いま開発した商品が、一品も売れなくなる研究をせよ」
2011年5月に神戸の垂水にある井植記念館を訪ねたことがある。瀬戸内海が見下ろせる気持ちのいい建物だ。三洋電機の創業者である井植歳男、祐郎、薫の三兄弟を輩出した井植家の記念館である。ロビーには三洋電機の社員で工業デザイナーの彫刻家富永直樹製作の井植歳男像が設置されている。太平洋、大西洋、インド洋の三洋という社名の通り海外展開も活発だった。1960年に制定した社是の三本柱は、人間、技術、サービスである。
井植学校と呼ばれた勉強会からは多くの事業家が出ている。太陽工業の能村龍太郎、ダイエーの中内功、サントリーの佐冶敬三、ダイキン工業の山田稔、、。またジャーナリストの佐藤正忠は井植歳から実の息子のように可愛がられた。記念館の一室が長男の井植歳男記念室となっている。
- 私は、無である。ハダカである。知恵も、財産も、信用もない。この心境に立って考えれば、おのずと活路が開けてくる。
- 困難にあわない人生はあり得ない。もしあるとすれば、それは怠けている証拠である。
- 私はかつて失望落胆したことがない。
- 与えられた仕事を命じられたままトレースするのではなく、自分の持つ知識・能力・技術・アイデアをプラスし、自分の足跡を残せ。
1963年に連載された日経新聞「私の履歴書」では、「自分がいなけりゃ」とうぬぼれを持ち、天職を全うするところに、大往生が遂げられる」と結んでいる。歳男の死後40年たって、リーマンショックを乗り切ることができずに、三洋は松下に吸収された。その原因の一つは、主力商品であったデジカメの単価下落だった。井植歳男の「いま開発した商品が、一品も売れなくなる研究をせよ」という遺訓は生かされなかったようである。企業がながく存在するということは難しいものだと改めて感じた。