「三角イメージ体験法」と「図解コミュニケーション」をつなぐ「〇△▢」ーー藤原勝紀編「創造の臨床事例研究」を読んで。

 藤原勝紀先生から『創造の臨床事例研究』と題した小冊子が送られてきました。

 6歳年長の藤原さんは、九大教授から51歳のときに京大教授に転じた心理学者です。臨床心理学の草分け的存在で、現在は臨床心理士試験のトップで、学会の会長でもある人です。私は九大探検部の先輩としてながくコミュニケーションをとってきました。

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 FJK研究会:舶来の臨床心理学から日本の臨床心理学に船出したのが半世紀前。それをさらに切りひらいたのがFJK研究会。藤原研の略称ですが、フロイトユング、河合の頭文字ともいえるのだそうです。この研究会から学位取得者も多く出て活躍しています。藤原さんは「三角イメージ体験法」という独創的な心理療法を開発し、不安障害などの心理的障害へ適用し、新たな心理臨床を展開させた功績で、2017年に日本心理臨床学会賞をもらっています。

三角イメージ体験法では、クライアントは〇△▢の動きとともに緊張が誘発され変化する独特の身体感覚を体験し、セラピストとの関係性を通じて新たな関係とその意味が生成する体験となっていく。従来の刺激中心から反応中心のこの手法は主体機能を活性化しながら援助機能を創出していく生身の人間関係体験の形成過程をともにつくる人間関係の技法だ。五輪の塔、胎蔵界マンダラ、万華鏡とも親和性がある。

「藤原勝紀先生語録」:「じゃないか、と問いを出していく」「言葉が出てくるまでのプロセスから考えよ」「関係性に落とせる軸を2人で作る」「健康さに目を向ける」「臨床体験に基ぢて考える研究」「セラピストに引き起こされる感情体験も広い意味でのイメージ体験」「関係性の次元を変換させる」「1回1回が勝負」「イメージセラピー」「ケースの中で展開する」「身体を動かさないで、こころを活性化させる」「普通人への心理臨床」「仮説・狙いを持って面接」「想定できないものへの備え」「偽物は数が集まる」「臨床心理は別れの商売」「宗教は孤独を救えるか」「自身が、今ここ、を生きる努力をしえいるか」「他者の心に記したいから語る」「はっきり決まらないところでの付き合い方が専門性」「問題でなく課題に対応する」「引きこもりの子は闇を生きる力がある」「共同作業のパラダイム」「あいまいなままで終わることの健康」「答えから応えへのパラダイムシフト」「セラピストは生涯初心者」「心の世界の無量寿を生き抜く」「諦めない力がついてくるのが面接力」「約束を守ってもらえる体験の積み重ね」「当たり前のケースで子どもの世界の豊かさを語れるか」「人の心に、包括的な学問として寄り添う、そのための心理臨床学」「人間関係を作る力、それが面接力の汎用性」「面接法は治療であり研究」「専門性は内に置きつつ外と連携できるのがホンマもんの連携」「臨床心理士と公認心理士の両方をいかすことが心理臨床の根本パラダイム

「私のFJK研究会体験」というコーナーでは、多くの学者たちが藤原さんの言葉を語っている。「スリル」「創造」「可能性」「逆向き」「専門性」「急がない」「相手の持つ力を信じる」、、。影響力の大きさをを感じます。

前々からの藤原先生との会合の中で感じていたことですが、新たな臨床心理を展開させた「三角イメージ体験法」は、私が切りひらいてきた「図解コミュニケーション」と通じるものが多いと改めて感じました。曼荼羅を表紙にした「図解コミュニケーション全集」第1巻を、11月に渡し損ねたので、贈ることにします。

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「名言との対話」1月5日。岡井隆「だめな人間だったわたしは、それでも歌のおかげで、なんとか生きて来られたのである」

岡井 隆(おかい たかし、1928年昭和3年)1月5日 - 2020年令和2年)7月10日)は、日本歌人詩人文芸評論家 

名古屋の旭丘高校を経て慶應大学医学部卒。内科医としてながく病院につとめる。医と文のせめぎ合いの人生だった。1946年「アララギ」に入会。1951年近藤芳美らと「未来」を創刊。1955年頃より塚本邦雄らと前衛短歌運動をおこし,歌集「斉唱」で注目をあびる。「禁忌と好色」で迢空賞。現代短歌大賞。「ヴォツェック/海と陸」ほかで毎日芸術賞。「馴鹿(トナカイ)時代今か来向かふ」で読売文学賞

1983年から、中日新聞東京新聞に『けさのことば』を長年にわたって連載していた。1990年6月から2014年3月まで、日本経済新聞歌壇の選者を務めた。1993年より宮中歌会始選者を21年間つとめた。2007年から宮内庁御用掛。2016年文化功労者

1975年の『鵞卵亭』(1975)から、短歌がもつ韻律の美しさを生かし、のびやかに現代人の内面を抉るようになる。1994年の『神の仕事場』あたりから、文語に口語文体を調和させるなど柔軟な作風を繰り広げる。定型詩の可能性を模索し、写実に偏りがちな短歌に思想性や社会性を持ち込み、虚構も大胆に詠み、英語や口語もふんだんに取り入れる。試行を続けてきた存在として、新しい世代に与えた影響は大きい。

1920年生まれの塚本邦雄、1935年生まれの寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人である。岡井によれば、前衛短歌運動は、象徴や比喩を多用し虚構も扱えば短歌にももっといろんなことが可能になるという、外からの短歌滅亡論への反論だった。また内では前衛狩りの歌壇の風潮と戦った。

以下、この本と歌集から気に入ったものを取り出した。

 恩寵のごとひっそりと陽が差して愛してはならないと言ひたり

 うつくしき女と会ひし中欧のカフェテラスより現在(いま)が生まれつ

 曙の光の中で読むときに昨夜の書(ふみ)の顏変わりゆく

 薬品にほとんど近き食品が勢ぞろひして寒し地下売場

 才能を疑いて去りし学なりき今日新しき心に聴く原子核

 草刈りの女を眼もて姦すまでま昼の部屋のあつき爪立ち

 かくのごとくわれもありしか青春とよびてかなしき閑暇の刑は

 おおわが朱色の聴診器死へむきてあへぐひとりも夕映のなか

 或る友を幸福の側へ差別してわれはも寝たり菊のごとくに

 売春と売文の差のいくばくぞ銀ほしがりて書きゐたりけり

 朝思へばぼくより幸福な奴なんてゐるわけがない歪むな隆

 ホメロスを読まばや春の潮騒のとどろく窓ゆ光あつめて

岡井隆の短歌から現代詩、批評まで、2020年まで70年を超える活動はまさに多芸多彩であった。日常の細部を口語を交えて軽やかに歌う「ライト・ヴァース」(軽妙洒脱な詩)を提唱するなど、年齢を重ねるごとに作風も自在に変えていった。岡井自身によれば、自身は一貫して歌人であり、結社人として生涯現役の人だった。

岡井隆『わが告白』(新潮社)を読んだ。2009年から2011年までの日記である。過去を書く伝記が嫌いな岡井は、現在を書く日記に愛着がある。日記は「強い。勁い。つよい」と繰り返している。この本では過去と向きあうことの困難さをうかがうことができる。

短歌は作品が大事だが、歌よりも歌人の方が優先する詩型であると岡井は言う。歌人の人生と生活を知らなければ歌の価値がわからない傾向がある。破婚と反婚、そして5年間の恋の逃避行と同棲までの7年、入籍まで9年を経験した「超婚」の現在。嫉妬と悪意の嵐との戦い。裁判沙汰になったストーカー騒動。 栄誉願望はエンドレスであり、欲望を肯定してようやく心の平安を得た日々。幸福論や仕事論についての多くの読書、ヒルティ、アラン、アンドレ・モロワ、亀井勝一郎など。、、、、

岡井隆という歌人の特色は、「短歌とはなにか」「現代の日本人にとって短歌とはなにか」についての本をたくさん書いていることだ。多くの歌人の 生き甲斐短歌とは違う。自身をだめな人間だったという岡井隆は歌の力にすがって辛うじて生き延びたという。絵画の東山魁夷も何をしですかわからない自分を絵が救ってくれたと言っていたことを思いだした。「短歌とは何か」は、岡井隆自身の生きる意味そのものを探るテーマだったのだろう。

わが告白